<風の谷のナウシカに思う2 アセンションはこれから >No.26

2012年冬至、マヤの暦が終わる1大イベントを終えて、無事2013年を迎えました。
2012年末に、何か起こるのではないのかと不安と期待もあったと思います。
2012年を無事に見送りもう1か月が過ぎようとしています。
何もなかったことに安堵された方も、失望した方もいたのではないでしょうか・・・
終末論とはいったいどこから来たのでしょうか・・・
それは、古代人の希望なのでしょうか・・・
それとも未来を、あるいは過去を視た者が伝えているからなのでしょうか・・・

私たちの世界に起こっているすべての事象は、人間の世界も宇宙にもリズムがあります。
まず物事には始まりがあって必要なものが集まって生まれてく「創造」の世界があります。
次に創造したものがさらなる繁栄を遂げようと「保守」の世界になります。
最後は「保守」が破られて移り変わる「破壊」の世界が訪れます。
「創造」「保守」「破壊」のリズムは繰り返され、変化し動いていることそのものが生きているということです。

「フェイバレット」<風の谷のナウシカに思う>No.25
https://nakagawaayuki.com/?p=1039

以下抜粋

「風の谷のナウシカ」は、1984年映画版が有名ですが、1982年より宮崎駿氏(1941年山羊座生まれ)41歳のときからマンガ雑誌「アニメージュ」に連載を始めて約11年間、1994年53歳のときに完結した映画版の基となった漫画版があります。
発売とほとんど同時に購入して読んでいました。(残念ながら1巻2巻は初版本ではないのですが、3巻~7巻は初版本を所有しています)
漫画版の方が深く複雑ですが特に、映画と漫画ではラスト(終焉)が全く違います。
映画化された部分は漫画版全7巻のうち、2巻前半までの内容に手を加えた形になっています。

上記は東日本大震災の少し前(2011年1月29日)に書きました。

現実的な古代文明より暗示される終末論的なものもありますがナウシカ漫画版から思うことを書きたいと思います。
(是非、映画版しか見たことない方はご覧になってみてください)

以下「」文は「風に谷のナウシカ」から

ぼろぼろになった世界に古くからの言い伝えである予言があります。

「古き予言はまことであった・・・
青き清浄の地へみちびく者があらわれたのだ
木々を愛(め)で 虫と語り 風をまねく鳥の人・・・」

「その者青き衣をまといて金色の野におりたつべし
失われた大地との絆をむすばん」

人々は青き衣の者が救ってくれると期待しますが、
「青き衣の人は救ってはくれないよ、ただ道を指し示すだけさ」と出てきます。

「青き衣の者とは土鬼(ドルク)の土着の宗教が事実をきいて語りついだ願望なのか
それとも破滅の危機がたかまるとき私たち種族の生命が時空を隔てて産み出す人々なのか・・・」

次は、隠れた聖地に住まう即身成仏たちとナウシカのやりとりです。

即身成仏:
「・・・・・・
神はこれ以上人間が大地を汚すことを許しません
神は語っています
旧き世界は滅び永い浄化のときが来ると・・・」

ナウシカ:
「なぜそのために木々や鳥や蟲たちまでが苦しまなければならないのでしょう
王蟲たちの苦しみや悲しみは誰がつぐなうというのです」

即身成仏:
「滅びは必然です
神聖皇帝の愚行すらその一部なのですよ
すべての苦しみは世界が生まれかわるための試練なのです」

ナウシカ:
「ちがうわ!!私たちの風の神様は生きろといってるもの
わたし生きるの好きよ 光も空も人も蟲もわたし大好きだもの!!」

アセンション論に、肉体を離れて魂が5次元にいくというイメージのものもあるし他力を求め宇宙人救済説もあります。
私も以下のブログを書きました。
<アセンション 宇宙人救済説>No.200
https://nakagawaayuki.com/?p=2227

人間が想像できるものはこの宇宙にあり得ることだからこのようなこともゼロではないでしょう。
しかし、宮崎氏の「ナウシカ」を読み返してアセンションの真理を考え直します。
即身成仏とは生きながらにして仏(ほとけ)になることです。

即身成仏:
「永くまったかいがありましたね
ええ、風が来ました。やさしく猛々しい風が・・・」

ナウシカに会って心穏やかな即身成仏たちは肉体を離れていきます。
「滅びは必然」と言いながらナウシカに希望を見たのです。
旧約聖書ヨハネの黙示録や仏教における弥勒菩薩救済説が存在している理由は同じようなことなのかもしれません。
予言があって予言に近いことが起こっていくのか、
予言の基となることが過去にあったから未来にも存在しているのか、
いずれにしても「創造」「保守」「破壊」の流れの中にいるには変わりありません。
アセンションとはまさに「破壊」の中に入っていることと言えましょう。
「破壊」という流れの中から建設的に思考し行動する「ナウシカ」はそれを教えてくれます。

そんなナウシカも人間のあまりな愚行と他の生命体である蟲たちの犠牲的な愛の行為に心がつぶれそうになります。

ナニモノか:
「永い浄化の時が始まったのです
すべてが予定どおり進んでいるのです・・・・・・
ずっと昔から決まっていました
私たち呪われた種族は焼きつくされ新しい世界が生まれます」

ナウシカ:
「もう道はないのでしょうか?」

ナニモノか:
「滅びを恐れることはありません
おいで平安な世界へ」

ここで漫画の「絵」はナウシカの胸が光だします

ナニモノか:
「なんだね、その光は?
はやく捨てなさい 死者が甦る!」

ナウシカ:
「だめなの 光っているのは私の胸だもの」
「おまえは上人さまじゃない!!」
「人を喰らう虚無だ」
「されっ!!」

上記の即身成仏のようなイメージで登場したナニモノかは「虚無」だったのです。
2012年冬至に何も起こらなかったことで、がっかりされた人もいるでしょう。
今の生活や人類に幻滅し、この辛い3次元が続くことより魂になってアセンションしたい人もいたかもしれません。
現実に目を向ければ暗いニュースばかりで心の灯が「虚無」に食べられそうになります。
一度は「虚無」から抜けたナウシカでしたが再び、愚かな人間の戦争のために
死んでいく王蟲たち(他の生命体)の犠牲的な愛とともに自分も逝こうとします。

ナウシカ:
「もう何もかも手おくれだ」
「ここが私の旅の終わりだろうか」
「こんなに世界は美しいのに」
「こんなに世界は輝いているのに・・・」

しかし王蟲はナウシカの命を繋ぎます。
ナウシカ自身が「生きる」意志があるかどうか問われます。
「死」の淵は浄化された世界でした。
土鬼の皇帝はここで成仏していきますがナウシカはこの世に戻ってきます。
この世界は肉体を失った魂が成仏していく比喩の1つとして書かれたのではと思います。
ナウシカの心の中の次元として描かれています。
土鬼の皇帝はしがらみをすべて捨てて光の世界へ入っていきました。
もし、死んでしまったらいける世界なのかもしれないですが、
生きている私たちが「今」目指す世界ではないのです。
死んで5次元に行けるのがアセンションというのは幻でしょう。

さらに今度は3次元世界で同じような成仏した世界が現れます。
この世界は高度な技術で人工的に作られた世界でした。
トルメキアの2人の王子はこの世界の一部になっていきます。
大好きなピアノを演奏しながら、本人たちは全く気が付かないうちに平和な庭の一部に化していくのです。
生きながらにしてなるので即身成仏になる過程を省いて成仏するようなイメージです。
よく宮崎氏はこんな世界を考えたなぁと思いますが、
人間が想像することはあり得ることなのでどこかの星かもしくは過去の地球にあったのかもしれません。
眠りながら死にゆき平穏な世界に入るイメージです。

庭の主:
「そなた達人間はあきることなく同じ道を歩み続ける」
「何度もくり返された道を」
「みな自分だけは誤ちをしないと信じながら 業が業を生み悲しみが悲しみを作る輪から抜け出せない」
「この庭はすべてをたちきる場所」
「そなたのしようとしていることはもう何度も人間がくり返して来たことなんだよ」

ここで大きな秘密に触れます。
それは前述のブログにも書きましたがナウシカたちがDNAを操作された人類であったことです。

ナウシカ:
「永い間の疑問でした
世界を清浄と汚濁に分けてしまっては何も見えないのではないかと・・・」
「浄化された世界に私達は憧れてもそこでは生きられない
あなたは素から変わったとそういいました
自然に生まれた耐性ではなく人間が自分の意志で変えたのですね?」
真実に気づいたナウシカは平穏な世界から我に返ります。
以下前述ブログより


「ナウシカ」に出てくる腐海(ふかい)は、
人体に有毒な胞子を飛ばす巨大なキノコ類の森です。
映画版では、センセーショナルな登場をする巨大な虫、王蟲(おーむ)を始めとする生態系が腐海の中に在ります。
ナウシカは、腐海の樹木が綺麗な土と水の環境でなら、有毒な胞子(瘴気(しょうき))を飛ばさないことに気が付きます。
腐海は、清浄な空気と土を再生させるために生まれたものだったからです。

それが人為的であったと解るのは、最終巻(第7巻)で、旧人類の智慧の宝庫、土鬼(ドルク)の墓所を開けてからです。
映画版では明かされなかった衝撃的な秘密…
それは腐海も王蟲もすべて、旧人類の人工的な産物だったということです。
なんのために…
ぼろぼろになってしまった地球を浄化するためにです。
しかしここでもっと驚くことは人類の人体さえも、汚れた環境に合わせて作りかえられていたということです。

物語では、ナウシカを始めとする人類は、マスクを着けていても有毒な瘴気(しょうき)の環境にあるため、人体に毒素が溜まっていきます。
ナウシカは11番目の子供として生まれ、10人の兄姉の犠牲の上に育っていきます。
母体の毒素を吸って子が生まれるため育たなかったり、老いとともに手が石化して動かなくなる「生」を彼らは生きています。
その身体でさえ旧人類が高度な技術によって適応させたものだったのです。
汚染された地球の生態系に手を加え、それに適応した人体をも産み出していたのです。

私たちのDNAはどこかで何度か操作されてきました。
以下ブログから抜粋
<「あなたはどの星から来たのか」と「生命と宇宙」>No.201
https://nakagawaayuki.com/?p=2242

「生命と宇宙」より抜粋

1971年頃は盛んに情報理論の研究をしていて人間のDNAの情報を漢字仮名交じりの和文にすれば7億字になると計算しました。
これは400字詰めの原稿用紙にして175万枚の文章量になります。
このように巨大な情報が米粒の60億分の1の小さな空間に含まれます。
・・・
ごく簡単な蛋白質でも偶然だけで発生する確率は毎秒500兆回振ったとしても
10の242乗億年もかかる見込みですから不可能といってよいという結論です。
ましてDNAのように複雑な蛋白質は論外というべきでしょう。

古生物学者を悩ませるミッシングリングがあるのはDNA操作に介入した存在がいるからではないでしょうか・・・?
果たしてその存在とはカミサマと呼ぶ存在なのでしょうか・・・?
それとも私たち人類の祖であるナニモノかなのでしょうか・・・?
生きながらにして成仏してしまう「庭」から抜け出したナウシカは
森とともに生きる種族、森の人セルムと「自然」と「生命」について考えます。
ナウシカ:
「千年前 人間は絶望の淵にあったのでしょう
必至に人々は希望を見つけようと努力した・・・
生態系をつくり生物をつくりかえる技はこの庭の維持にいまも生きています
計画では今は再生への道程のはずでした
けれど現実には愚行はやまず
虚無と絶望は更に拡がっています」

森の人セルム:
「あなたの考えは私達の一族を根底からゆるがします
森はひとつの聖なる生命体と私達は感じてきました」
ナウシカ:
「わたしはいまもそう感じています
たとえどんなきっかけで生まれようと生命(いのち)は同じです」
「精神の偉大さは苦悩の深さによって決まるんです」
「生命はどんなに小さくとも外なる宇宙を内なる宇宙に持つのです」

画像は、ミクロの世界からマクロの世界まで、中心にブラックホールが存在するとするものです。
科学的なブラックホールというよりこのイメージから解ることがあります。
この超微細な中心は、細胞の中心にも、銀河の中心にも、私たちの中心にも存在していてすべてと繋がっています。
ブラックホールだとしているこの画像からは「空」をイメージできます。
この「空」なる世界は、超次元の世界(一般的な12次元より上)、素粒子を生み出す世界、宇宙の大いなる意志の世界ではないかと考えます。
「空」に表される大いなる宇宙の意志は、宇宙の果てへと遠く、
そして自らの身体の一番奥の中心に存在して繋がっていますので、ナウシカの言葉の通りなのです。

ナウシカ:
「どんなにみじめな生命であっても生命はそれ自体の力によって生きています
この星はそれ自体が奇跡なのです
世界の再建を計画した者達が・・・すべてを予定していたというのでしょうか

ちがう
私の中で何かがちがうとはげしく叫びます」

私たち人類を造った存在は、どこまで人類の未来を解っていたのでしょうか・・・
創造、保守、破壊の流れとともに、70億の人類が地球を壊す前に自滅するように予言があるのでしょうか
アセンションとは重ねあわされた幻影なのでしょうか

ちがう
私の中で何かがちがうと激しく叫びます。
ナウシカと同じです。
再びブログより


千年の時を経て浄化され、その役目を終えた腐海や蟲たちは、全て滅んでいくようにも設定されていました。
清浄な地球に戻ったときに再生するように綺麗な(ナウシカたちのように造り変えられていない)人間の卵もありました。
汚染された環境に適応できるように造り変えられてしまったナウシカたちの人体も綺麗に戻す方法もありました。
しかしナウシカは叫び、これらをすべて巨神兵と共に破壊してしまいます。

「私達の身体が人工で作り変えられていても
私達の生命は私達のものだ。生命は生命の力で生きている。」
「生きることとは変わることだ。」

「なぜ気づかなかったのだろう。
清浄と汚濁こそ生命だということに、苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。
それは人間の一部だから…
だからこそ苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに」

前回のブログの最後の引用です。
ナウシカのブログを書いて2年が過ぎました。
東日本大震災を経験し、外国からさまざま形で、攻めを受けている我が日本・・・
「ナウシカ」は日本人の象徴です。
「風の谷」は「日本国」の象徴です。
大国のトルメキアや土鬼(ドルク)の大戦争に巻き込まれながらも愚かな戦争を止めようと努めます。
そしてナウシカは女性ながら剣の手練れで自分の身は自分で護れます。
戦争は絶対に避けなければなりません。
今日、剣をふるうことはありませんが私たちは日本人としての誇りと
戦争に巻き込まれない強い「心」を持っていかねばなりません。

私の認識するアセンションは2013年が中心であとまだ100年くらいは続きます。
私たちのDNAは、それを造った者たちを超えて今変化しています。
生きているからです。
生きてきたからです。
画像はイメージですが目に見えない高次元の自己とDNAの螺旋で結ばれていきます。
これは失われた能力(直観)が再び強化されるようになります。
日本にはたくさんの神仏が居ますことを今一度思い出して・・・