<ちょっとつぶやく 矛盾の近況>No.203

長らくブログをご無沙汰しております。
去年末からいろいろとあらゆる情報が入ってきました。
入って来すぎてブログが書けなくなりました。
安易に情報を発信できないものもあり、その矛盾こそ今の人類なのだと噛みしめていました。
そしてあらゆる矛盾を受け止めることができるようになりたいと思いました。
ブログはきちんと考えをまとめてから書きたいと思うと方向性が要ります。
Twitterは、短い文章しか書けないので最近はFBでの発信が主でした。

昨日、友人と飲みに行きました。
今年になってまた購読を始めました中矢伸一氏の「玉響」が話題です。
2011年東日本大震災の後、原子力の専門家、服部禎男先生に奇しくも出会った私は放射能の真実を知りました。
前のブログをご覧いただいている皆さまはご存じと思います。
服部先生が中矢先生にインタビューされたことがきっかけで再び読者になりました。
(「玉響」2013年3月号など)

原子力のことを発信してきた私として現時点では、現在の大きすぎる原発は解体していくべきと思っています。
しかし40年もかかります。
放射能が危険だからなのではなく使用済み核燃料の始末ができていないからです。
人間が「ゴミ」と思っているものをこれ以上出してはいけないと思うからです。
本当は、放射線の効能をもっとよく知り「ゴミ」ではなく「副産物」として利用できるようになればと思います。
最新の論文では自然放射線の300万倍で人間のDNAはあらゆる病気の修復が可能性であるということです。
そしたら私たちの寿命も飛躍的に伸びるかもしれません。
そんな健康などへの平和利用に、使用済み核燃料棒を使えたら良いけど核武装するための素にもなってしまいます。
しかし服部先生の発明された超小型原子炉は核武装する素になりません。
最後はコンクリートに混ぜて高速道路などの石材になります。

ここでもう一度書きますが服部先生発明の超小型原子炉は、直径約90センチ高さ1メートルくらいの円筒形です。
まるでウランの大きな電池のようなイメージです。
無人で30年間運転できてCO2を出しません。
緑の公園にちょこっとあるだけで付近の1万世帯の電気を1ケタ安い電気代で作ります。
しかし実現化されていません。

私は現在の原発は脱原発ですが服部先生の超小型原子炉はありだと思っています。
しかし推進までは言えません。
服部先生と何度もお会いする機会がありました私は素人ながら理解しましたが、
原子力と放射線のことを一般の人が深く理解する機会はなかなかありません。
また放射能は怖いことにしておいた方が良い人たちもいるようです。
さらに人類の意識が低すぎるので、原子力を扱うレベルではまだないのです。
オーバーテクノロジーであると言えるのです。

都市の公共モニュメントが傷つけられたり、神社仏閣での盗難のニュースを目にします。
緑の公園に超小型原子炉があって、本来は無人で運転できるものでも、人為的に安全でない世の中です。
宇宙の法則として、人間の意識レベルと科学の発達度はある程度比例していかないとならないのです。
野蛮で闘争的なのに科学だけが発達した宇宙人も一部いるそうですが、おそらくずっと続かないでしょう。
そしてもし使用済み核燃料棒を医療に利用できるようになって、
あらゆる病気が治せて、人類70億の寿命が200歳とかになれる技術ができても、
地球と共に生きる調和的な意識になっていなかったら、もっと奪い合いは激化するでしょう。
だから放射能は怖いで良いのかも・・・と思ったりもしています。

私の中の矛盾を書きました。
写真は、久しぶりに日本酒を飲んでヘロヘロの私です。
「玉響」がちょっと写っていますね、
以下は「玉響」5月号、高橋よしのり氏「前世から未来へ」からです。


大きな変化が継続している間中、私たちには不安と疑心というトラップがしかけられています。
これは誰か特定できる集団や個人というより、変化を望まない想念という単位が、
変化を心待ちにする想念の集団に周到に仕掛けたトラップなのだとお知りください。

・・・

『天網恢恢疎にして漏らさず』これから真実を知ることになりましょう。

・・・

投げやりになったり、諦めの念を抱くことは、離れ行こうとしている次元に錨(いかり)を投げ引き寄せてしまうことにもなります。
今私たちに問いかけられているのは、思慮深く動じることのない”忍耐”であり、既存の社会からの離脱だということを、
今一度ご理解いただき、努々(ゆめゆめ)茶番劇の現行社会に巻き込まれることのないようにしたいものです。

素晴らしい文章なので抜粋させていただきました。
世の中のあらゆる矛盾に耐え、新しい未来を待ちつつ、学びや気づきをこれからも得たいと思っています。