<千葉神社へ 宇宙の意志と法則>No.198

5月末に神社仏閣好き仲間、SちゃんとMさんと京都旅行へ赴いてからもう約2ヶ月が過ぎようとしていました。
7月半ば、改めてSちゃんとMさんと特別な神社、千葉神社へ参拝致しました。
これからの未来文明は科学と信仰(宗教)が融合していくと思われます。
科学と宗教は、どちらも目に見えない領域を扱います。接点を追いながらの探求は尽きることはありません。

物理学者、故神坂新太郎先生のお話しから宇宙には2つの大きな法則があります。
1つは作用と反作用(原因と結果)の法則で、別な言い方をすると因果応報の法則です。
そしてもう1つは全てはフラクタルな構造(相似形)になっている法則です。

人が何か行動した方向が、良き行いの場合を「徳」と言い、悪しき行いの場合を「カルマ」(業)と呼んでいます。
これは作用反作用(原因と結果)の法則に基づくものです。
因果応報は、まず個人的なレベルの「徳」と「カルマ」を輪廻転生していきます。
それは、個人、家系、国家、民族、文明、人類、とそれぞれのレベルにおいてフラクタルな構造になっていきます。
私たちは、まず個人の運命があり、先祖代々の運命があり、日本民族としての運命があり、アジアとしての運命があり、現文明の運命があり、人類全体の運命となっていきます。
個人としての生まれ変わりは同じ民族とは限りませんが、個々の「徳」と「カルマ」において釣り合ったご縁のあるところ(土地)に生まれ変わります。
このようなことはスピリチュアルな領域のように思えますが、科学的な宇宙の法則からも同じことが言えるのです。

物理法則において、ある形のある重さを持った物体がある方向にある速度で飛びだす時、ある時間を経たら、どの地点を通過しているかは、計算出来ます。
しかし、環境が複雑になるほど、同じ条件を揃えても全く同じ結果を何度も得られることにはなりません。
それは計算出来ない私たちの知らない環境が加わっているからです。
それを誤差の範囲として実験を繰り返すわけです。
何故、誤差が出るのでしょう…
それは未来が全て決まっていないからとも言えます。

未来の「運命」を視ること、または読む(リーディング)ことを「占う」と言います。
それは、ある要素とある特質を持った人物がある環境においてある判断(選択)をした場合、どのような未来が作られるかを想定することを言います。
物理法則で計算出来ない環境があるのと同じように、占う時に想定できない環境があるので、もちろん外れることもあります。
でもそれはやはり、未来が全て決まっていないからです。
(当たる精度は占い師の能力と言うことになります)

余談ですが私の長年のお客さまが言いました。
私のところにアドバイスに来る理由の1つは、「在る程度、当たるから参考になるので、全く外れたり、逆にもし未来が全て決まっているとしたら怖くて何も聞けません」と言うことでした。
「占い」をポジティブに使ってくれていて嬉しく思いました。

千葉神社のご祀神は、北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)さまです。
別名、日本古事記に最初に登場する造化三神のうち、天の中央にあって宇宙を統一したとされる天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)さまです。

「神仏」の世界(次元)には大きく3つの領域があります。
一番上の空なる「超次元の世界」、次は宇宙の秩序を司る「原則の世界」、そして最後は人類や全ての生きとし生けるものを守護してくれる「守護の世界」です。

前述の京都旅行でご開運を申しあげてきた神仏は全て「守護の世界」のご存在です。
しかし千葉神社にお祀りされている北辰妙見尊星王さまは「原則の世界」のご存在です。
「原則の世界」とは、科学的な物理法則の世界です。
また、天之御中主大神さまは宇宙の根源ですので「超次元」からの存在であると言えます。
存在する次元と働きが違うのです。

(根源からの象徴は、千葉神社のあらゆるところに「太陽」と「月」の紋様としてあります。)

ではどう違うのか…
私たちは、現在、個人としての「徳」と「カルマ」があって生まれてきました。
今世、日本人に生まれて来ましたがもし違う国だったら、その国のカルマも背負っているということになります。
(もちろん、日本人としてのカルマは背負っています)

「人生」には理不尽で不平等な事柄が多々あります。
オリンピックを観ていてさらに思いました。
たくさんの時間を割いて一番努力をした選手が金メダルを取るとは限らないし、技術を磨く環境もさまざまでお金をかけられない選手もいるでしょう。
「人生」とは「過程」そのものであって、金メダルが取れるような「結果」が出るときは「過程」と「結果」の良きシンクロが起きていることになります。
これらの多くは(全部ではないが)「原則の世界」で起きています。

一方、「人生」を歩む「過程」において、「守護の世界」の「神仏」は私たちの意志を尊重し後押ししてくれています。
または、人生のリスクを軽減するように教えて(警告して)くれていたりします。
「この人は持って生まれた運命がきつくて、頑張っているのに大変だな、ちょっと後押ししましょう」と、その人にとってチャンスになる事柄や人物に引き合わせてくれるシンクロを起こすのは「守護の世界」の働きになります。

2012年~2013年をピークに4度目の天の岩戸開き(アセンション)が起きています。
詳しくは、<アセンション 天の岩戸開き>No.136
https://nakagawaayuki.com/?p=1247

上記ブログで長くは1913年~2113年までの間としていますが、1963年~2063年までは特に、神仏界においても特別な時期となります。
それは「原則の世界」と「守護の世界」が交差する時期であるからです。
なぜ多くのチャネラーと呼ばれる人たちやスターピープルたちがアセンションを特別な時期であると唱えるのか、その理由はここにあります。

通常、「超次元の世界」「原則の世界」「守護の世界」の領域は重なっていません。
これらの世界は重なっていないので別な世界からの神仏が同時に存在することはないのです。
ミロクさまは「超次元の世界」のご存在です。
ミロクさまのご来臨も56万7千年ぶりになります。
これらの「世界」が重なることでカルマの清算と浄化が起きます。

昔のブログから抜粋
<アセンション カルマの昇華>No.46 2009.3.9
https://nakagawaayuki.com/?p=424

★アセンション物語 ある池の鯉たちの話★

あるところに、大きな大きな池がありました。
その池はとても古くて、たくさんの鯉が住んでいました。
水が湧いているところがあり、そこを拠点としている鯉たちがいました。
また、水がよどんでしまったところがあり、そこが拠点の鯉たちもいました。
湧き水付近を拠点としている鯉たちは、いつも綺麗な環境で生きています。
ここの鯉たちは一番新鮮な心地よい場所を順番に使う習慣があり、皆が病気にならないように、仲良くしていました。
子孫も、もちろんここで暮らしています。
しかし水の流れが悪くよどんだところが拠点の鯉たちは、いつも、少しでも綺麗なところに行こうと争いをしています。
当然、大きくて力のある鯉が勝ちます。その子孫もそれに倣います。
とても大きな池なので、2つのグループの鯉たちは普段はあまり交わりません。

ある時、綺麗な環境にせっかくいたのに、一番心地よい場所を独占できないことが不満な鯉が旅に出て、汚い場所に住む鯉たちに会います。
汚い水なのに、その中でも争いをしているさまに驚きます。
平和に慣れているので最初、不思議に思いますが戦いに勝つと良い場所を得られる、皆の賞賛を得られる、そんな行為に段々と魅せられて行きます。
一方こんな場所は嫌だと、汚い水にいた鯉も旅に出ました。
でもここしか知らないので、素晴らしい環境があることを知りません。
もっと汚い水でもいいから、もう争いのない世界を探そうと思ったのです。
そして、綺麗な環境で生活している鯉たちに会います。今までいた場所より、どこでも綺麗な水なのに、さらに一番心地よい場所を交代で使っているさまに驚きます。
よそ者の鯉なのに、受け入れて貰えました。

綺麗な環境から来た鯉は、汚い環境に染まってしまいましたが、元居た場所に反省して帰ることもできたのです。
ここで、この鯉には選択権が発生していました。
また、汚い環境から来た鯉は、もっと汚くても争いがない方が良いと、腹をくくったので、奇跡に合ったようなものです。

この2つグループの鯉たちは何故このような環境が拠点になっていたのでしょうか・・・
場所が問題だったのではなく、長い時間をかけて、平和主義の鯉たちが作り出した環境と争いが好きな鯉たちが作り出した環境の象徴だったのです。

しかし、アセンションが起りました!

この大きな大きな池の持ち主が、突然、池を作り変えることにしたのです。
いったん鯉たちは網で救い上げられて、別な場所に移動させられました。
そして、2つの鯉のグループは、一緒くたにされて、全く新しい造詣になった池に戻されました。
湧き水もないし、よどんだ汚い水もありません。水はどこも同じです。
今までの価値観の基準がなくなってしまいました。
湧き水の恩恵にあずかってきた鯉たちは、失望します。
湧き水がないと生きていけないと、生きる意欲を無くす鯉もいます。
汚い水で生きてきた鯉たちは、戦う必要がもうありません。
何を糧に自己表現したらよいのか解らない鯉と、平和になったと喜ぶ鯉に分かれます。

環境は長年にわたって作られたカルマでした。
でも、カルマが一層されたので、鯉たちは、全く平等に個々の力のみで生きていかねばならなくなりました。
そして、だんだんと、綺麗な環境にいた鯉も汚い環境にいた鯉も関係なくなり、同じ波長のもの同士が集まってきました。
この新しい環境を受け入れて、新しい世界を作っていこうとする創造的な鯉たちです。
しかし新しい環境に馴染めない不満な鯉たちは、バラバラになって、存在が薄くなり淘汰されていきました

上記のプチ小説は「アセンション」と呼ばれる特別な時期を理解し始めた頃のものです。
ここに登場する大きな大きな池の持ち主が「原則の世界」の存在になります。
「守護の世界」の存在は、この小説では表だって登場していませんが、汚い水の争いのある環境から腹をくくって旅に出た鯉に綺麗な水の環境とそこの善良な鯉に出会わせてくれた働きであり、綺麗な水の環境から冒険を夢見て争いある環境に辿り着かせてくれた働きでもあります。
「守護の世界」の神仏とはその者の意志を後押ししてくれるからです。

千葉神社のご祀神、北辰妙見尊星王さまは「原則の世界」の神仏です。
(同じご存在とも思われますが天之御中主大神さまは「超次元の世界」)
「原則の世界」は「占い」の世界でもあります。
物理法則のように個人から始まった「徳」と「カルマ」は、家系、国家、民族、文明、人類においてのレベルごとに秩序を保っていますが、上記の鯉のお話のように突然、池の造形が変わるような大変化が起きる可能性があります。

現在、「原則の世界」と「守護の世界」との交差により、「今」に重きが置かれ大いなるカルマ清算が早いスピードで起きようとしています。
この可能性はこれまでのカルマが「ちゃら」になるチャンスです。
しかし一気に「ちゃら」にするのは、現実世界では大ピンチが訪れるでしょう。
大ピンチの多くは、大チャンスに転ずる可能性を実は秘めていますが、現実世界では厳しいものです。

科学と宗教の違いは、法則そのもの(働き)に「意志」(​意識)が存在しているかを認めるか否かです。
科学的に物理法則において、そこに「意志」があるかの確認はこれからなされていくでしょう。
しかし「宇宙」には「意志」があり、「原則の世界」の存在にも「意志」があります。
それは私たちが個人の自由意志を持っていることと同じだからです。
なぜなら、宇宙はすべてフラクタルな構造になっているからです。

写真は、千葉神社の尊星殿です。

尊星殿に中には、北辰帝柱を思わせる八角形(宇宙の方向)の木の柱が2つあります。
天と地が繋がって「気」が流れ込んでいるようです。

生まれ年を運命とし、それを司る星の存在(神仏)がそれぞれ祀られているのです。

私は亥年ですが、戌年、亥年は乾宮(六白金星)とともにありました。

北は一番、高位になります。
そのお名前の通り北辰妙見尊星王さまは、北極星(北辰)からのご存在です。

「北」は坎宮(一白水星)です。

至るところに東洋系の占いに出てくるお名前がありますので、占い好きには楽しい不思議な神社です。

千葉神社が特別であるのは、占いをも司る「原則の世界」のカミサマがお祀りされているからなのです。
それは、私たちの「願望」や「意志」を後通しするだけではなく「運命」(カルマ)そのものを変えてくれるかもしれないからなのです。

しかし、前述したように個々の「運命」を大きく変更出来る可能性がある特別な時に、私たちは今生きていますが、その覚悟がないとピンチのままに終わってしまうかもしれません。
あくまでも「原則の世界」ですからカミサマが配慮してくれても、「運命」そのものにはやはり「法則」があるからです。

「おかげさまでありがとうございます。
北辰妙見尊星王さま、天之御中主大神さまを始め、
千葉神社に鎮座されます大神さまたちの一霊四魂の弥益々のご開運をお祈り申し上げます」