<千本えんま堂 引接寺へ 京都旅行10>No.196

個人タクシーTさんは、本当にいろいろなことを知っていました。
しかも英語が堪能で外国人のお客さまにはそれを英語で説明するのですから、プロ中のプロだと言えます。
もちろん運転技術も最高で、車酔いしやすい私たちなのに誰も気分悪くなりませんでした。
偶然に引き合わせてくれた神さま仏さまに感謝致します。

さて記憶が定かでないのですがTさんは
「大寺」、「寺」、「院」、「堂」、と名のつく規模の条件を話してくれました。
「昔(平安時代くらいから?)は15?(くらいだったかな)のお堂があったものが
「寺」と呼べる条件であって「○○寺」と呼ばれたそうです。
今ではその一部が残っているだけでも「寺」と呼びます。
また寺の一部がのこっているものに「堂」とつくものがあります。」
(「寺」より規模が小さいのが「院」で「大寺」と名が付いたらもっと広大なもの)

奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代…、
私たち日本人は、お寺を創り、仏像を創り、仏教を信仰してきました。
また神社は神社で存在して、こちらも信仰してきました。
実際宇宙の法則を考えると、唯一神や全知全能神が存在する一神教には矛盾があります。
しかし「大いなる宇宙の意志」は存在しています。

私たちの細胞はおおよそ60兆個あると言います。
皮膚は約1ヶ月、内臓など臓器は約3ヶ月~半年、
骨は4年~7年ですべて細胞が入れ換わると言います。
つまり、7年たったら肉体は全部違う(別の人?)です。
それでもDNAの記憶が同じ形状を保ち、一霊四魂があるので同じ人でいます。
そして肉体があるから「意識」が発生し存在しているのです。
前世はあっても今の私はこの肉体の今だけです。
私の細胞60兆個それぞれに意識があってもおかしくはないし、
細胞くんたちから見れば私の意識が「大いなる意志」になるでしょう。
さらに「大いなる意志」を持つ人間も私一人ではないのです。
私たち日本人は、ごく自然に八百万の神さまと仏尊さまのどちらも愛して信仰して来ました。

Tさんが言います。
「次はあの世とこの世の境目といわれているお寺にご案内いたしますよ、」
Tさんお奨めの最後のお寺は「千本えんま堂 引接寺(いんじょうじ)」です。
「引接寺」はなんと「えんま大王」を祀っているお寺でした。


(ご朱印写真)


このご朱印は私たちの人生の終わりを引接(引導の意味)下さり、
また次の世の初めを司ってくださるえんま法王のご朱印です

閻魔大王(えんまさま)とは
(Wikipediaより)


ヤマラージャ(サンスクリット名)
仏教、ヒンドゥー教などでの地獄の主。冥界の王・総司として死者の生前の罪を裁く神である。

<インド>では、
人間で最初の死者となったゆえに死者の国の王となった。虚空のはるか奥に住むという。
古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた。
時として“死”と同一視される向きもあったが、死者の楽園の王、
死んで天界にある祖先を支配する神と考えられていた。
しかし後に黄色い衣を着て頭に冠を被り、手に捕縄を持ち、
それによって死者の霊魂を縛り、自らの住処・国に連行されると考えられた。
またさらに下界を支配して死者を裁き、地獄に落とす恐るべき神と考えられる様になり、
ついには単なる死神としても描かれる様になった。

<中国>では、
道教における冥界・泰山地獄の主である泰山府君と共に、冥界の王であるとされ、
閻魔王、あるいは閻羅王として地獄の主とされるようになった。
地獄の裁判官の一人であり、その中心的存在として、泰山王とともに、
「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった。

<日本>では、
日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている。
閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ
(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、
閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった。
本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされる。
閻魔王の法廷には「浄波璃の鏡」という鏡が設置されていて、
死者の生前の善悪の行為をのこらず映し出すという。
また司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐する。

Tさんの説明では、
「閻魔大王とは一番最初にあの世に行った人なのです。
それで後から来る人のことを裁くようになったのですよ、
でもね、ここでちゃんと今までの罪を詫びれば浄土に行けるんです!
しかもね、ここでいう浄土とは阿弥陀如来さまの簡単に行ける西方浄土じゃなくて
薬師瑠璃功如来さまの特別な浄瑠璃浄土なんですよ、
ユニバーサルスタジオのチケットは簡単に手に入るけど
東京ディズニーランドのチケットはなかなか手に入らないのと一緒で、
西方浄土には割と簡単にいけるけど浄瑠璃浄土にはなかなかいけないんですよね~」

西方浄土と浄瑠璃浄土の違い?は良く解りませんでしたが、
(それはTさん、ちょっと違うのでは…浄土を司る如来の違いかと…)
ユニバーサルスタジオと東京ディズニーランドの違いは
関西方面の方ならではの例えで面白かったですが…
(Tさんはバリバリの京都人!
ユニバーサルスタジオのチケットは、関西では手に入りやすいのかな?)

さて、ここで重要なのは閻魔大王が地蔵大菩薩と同一の存在かもしれないということです。
私たちに馴染みの深い通称「お地蔵さま」とは地蔵菩薩さまのことです。
仏尊のお役割には段階があって、
「如来」と呼ばれる存在は天から大きく人類や世界を照らしますが、
「菩薩」と呼ばれる存在は「菩薩行」という言葉があるように、
地に降りてきてコツコツと人々を地道に導いていきます。
さらにもっと下の層は通称「お不動さま」こと不動明王さまが降りて来て救います。
不動明王さまと同じ一番下まで降りて行ける唯一の「菩薩」が地蔵大菩薩さまなのです。

生まれ年の干支でご縁ある仏尊が解ります。

子年   …千手観世音菩薩
丑年・寅年…虚空蔵菩薩
卯年   …文殊菩薩
辰年・巳年…普賢菩薩
午年   …勢至菩薩
未年・申年…大日如来
酉年   …不動明王
戌年・亥年…阿弥陀如来

上記が一般的ですが、この中でご縁ある仏尊が如来になっている
未年、申年、戌年、亥年生まれの人は如来より下に降りてこられる
未年、申年は不動明王さま(大日如来の化身)、
戌年、亥年は聖観世音菩薩さま(阿弥陀如来の脇待)のそれぞれご開運を
お祈りして心が折れそうなときにお力をいただけるようお願いした方が良いと思われます。

これは私の推察ですが、前述の「六観音」で地獄のご担当は聖観音菩薩さまでした。
聖観音さまは「菩薩」です。
ここでいう「地獄」からもっと下の一番下の「地獄」までいくことのできる唯一の菩薩が
地蔵大菩薩さま(マハークシティガルバ)と思われます。
「地獄」には何百年、何千年生まれ変わることの出来ない御霊もいるのでしょう。
そこに「光」をあてるお役割なのです。
ゆえに「地蔵大菩薩」とは地球神である「国常立大神」(大国主尊)の「陰」のお姿でもあるのです。
また大日如来は一番下まで降りて行くときに不動明王に変化されますが、
天照大御神の「陰」のお姿が「大日如来」です。

本来、地球は日本神界の名で言うところの
「天」に天照大御神、「地」に国常立大神の御霊が宿る「星」なのです。
ですが決して唯一神でも絶対神でもないことは言うまでもありませんし、
国常立大神の「陰」のお姿が我が地球の底の底まで行ける地蔵大菩薩であるというのも納得です。

「えんま大王さまの一霊四魂の弥益々のご開運をお祈り申し上げます。」

「地蔵大菩薩さまの一霊四魂の弥益々のご開運をお祈り申し上げます。」

「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」(地蔵菩薩さまご真言)

私たちはご開運をお祈りした後、Tさんに促されてそれぞれの罪を改めました。
無言でしたのでMさん、Sちゃんが何を改めたのかは解りませんが、
私は個人的には3年前に病気をしたときによくスピリチュアルの手法にあるような
生まれてから今までの出来ごとを順々に思い描き「感謝」と「お詫び」を
1年かけて回想したのでここでは神仏と全ての生きとし生けるものに
人類の不調和な行いを「お詫び」致しました。

Tさんは
「これで浄瑠璃浄土への切符が手に入りましたよ~」なんて簡単に笑っています。
(そんなに甘くはないでしょう…と心で思う私)

「引接寺」には女性のお坊様がおられました。
女性僧侶の妙昭さまです。
Tさん曰く
「妙昭さんは少女のようにかわいらしいお坊さまなんですよ、」
Tさんの紹介通り、68歳とは思えないすっぴんなのに綺麗なお肌で
若い快活な、それでいて奥深い印象を受けました。

「えんまさま、そして地蔵菩薩さまは仏教においては地味な存在ですが、
一番下で救ってくださいますのでどうぞ、お気にかけてくださいね、」
妙昭さまのお話を聞きながらお抹茶をいただきました。
個人タクシー案内人のTさんならではの計らいでした。


(抹茶写真)

写真はお抹茶をいただく前です。
お抹茶の上に布がかぶせてあります。
この布がみんな違う模様で用意していただいていて、
3人が3人とも自分の前に置かれた模様が一番好みでありました。
(私のは淡いピンクとベージュの模様です。
Sちゃんははっきりしたブルーの模様でMさんも古風なブルー系の模様でした)


(妙昭さまと3人で)

残すところは本願寺のみとなりました。
Tさんに案内して貰う最後に相応しい引接寺でした。