大好きな映画「マトリックス」シリーズに関して2つほどアップしています。
<マトリックスに思う 陰陽二元性の世界>No.157
https://nakagawaayuki.com/?p=1488
<マトリックスに思う 選択と自由意思>No.158
https://nakagawaayuki.com/?p=1500
本日を含めてあと少なくても2つテーマがあって、
「マトリックス」から得た気づきを書きたいと思います。
私たちの3次元物質世界から始まる地球も、
アーキテクトが作った仮想現実世界「マトリックス」も
陰陽二元性の世界です。
アノマリィ中のアノマリィ(例外)のネオが人類に誕生したように、
マトリックス内ではスミスが変化してきます。
以下のブログは昔のものですがちょっと抜粋します。
<義務と権利>No.28 2008.9.11
https://nakagawaayuki.com/?p=477
『
「義務」と「権利」は真反対でありながら、その境界線は実は微妙である。
人の営みは「義務」と「権利」のバランスで成り立っている。
何が「義務」で、何が「権利」なのか考えてみよう。
3次元物質世界において、私達は肉体を維持するために「食べる」。
通常「人」は「食べて寝ない」と生きられない。
つまり「食べる」ことも「寝る」ことも「義務」なのである。
「寝る」ことも義務なのに睡眠時間が多いと「権利」を主張している気分になるだろう。
「義務」と「権利」は表裏一体なのである。
さて、お休みの日に何をしようかぁ~
洗濯や掃除など家事には「義務」を感じるはずだし、
ボーっとテレビを見てるのは「権利」に感じるはずである。
私は常に「自由」な心(状態)でありたいと思っている。
「自由」に「義務」は含まれていないと思うだろう。
だが、究極の「自由」には「権利」も存在しない。
「義務」があるから「権利」があるのであって、
二者は陰陽関係になっている。
』
3年前のブログなので表現が青いなぁと思いますが、
まあ、それだけ私も成長したのかと思うことにしてちょっと載せました。
「マトリックス」に出てくる「目的」を語るには、
「義務」と「権利」は、かかせないからです。
「目的」には2種類あります。
1つは、「したいことをする権利」が伴うもの、
もう1つは、「果たすべき義務」が伴うものです。
スミスは、アーキテクトによって作られたエージェントというプログラムです。
マトリックス内で(マトリックスに入り込んだザイオンの)異変者たちを
監視して削除する「目的」を与えられていました。
スミスの「目的」は義務的なものでした。
ネオを見つけたスミスは、いつものように攻撃し削除しようと
自分の「目的」に努めますが、
ネオの能力はアノマリィ中のアノマリィ(例外)であったため、
いつものような攻撃では削除できず、逆にネオに攻撃されてしまいます。
そのときのネオとの接触が元で、
スミスの中にネオの一部がコピーされてしまいます。
ネオとスミスの究極の陰陽関係の始まりです。
アーキテクトのシステムから逃れたスミスはその証として、
耳に付けていたプラグを抜きます。
スミスはシステムから自由になって勝手なことをし出します。
しかし、スミスはもともとマトリックス内監視用として生まれたプログラムです。
それ以外の創造性がないスミスは自分をコピーしてマトリックス内を
自分で埋め尽くし、その「目的」を果たすことしかできないのです。
異変者を見つけて削除するというスミスの「目的」は
スミスにしてみれば「義務」から「権利」に変わりましたが、
他に「目的」を見つけられなかったということです。
以下はスミスの言葉です。
『
我々は目的なしには存在しえない。
目的は我々をつくった
目的が我々をつなぐ、行動させる、ひっぱる、導く、定義する…
』
スミスは「目的」の重要性を知っていました。
「目的」とは、人間的な別な表現をすれば「生きがい」です。
「マトリックス」リローデッドで、
ネオがソースにいくためにキーメーカーの存在が必要になります。
印象的だったのは、ネオ達を救う「鍵」でもあったその名もキーメーカー、
その存在さえも、アーキテクトが作ったプログラムであり、
ネオ(救世主)を導く「目的」があったから存在していたということです。
それゆえ、その「目的」を果たした後に、撃たれて倒れ
「これも予定通りだ」と言って彼は死んでいきます。
プログラムは、「目的」が存在価値だから
「目的」を遂行してしまえば、「価値」はなくなって、
その存在は不要であるという原則を知っているのです。
それに対して人間の「目的」とは、いったいなんでしょう?
私たちの人生の「目的」には、「したいことをする権利」が伴うものと、
「果たすべき義務」が伴うものがありますが、
どちらにも共通の「目的」があります。
それは「幸せ」になることです。
プログラムであるスミスには「幸せ」になる「目的」を
創造することはできませんでした。
それゆえスミスは、プラグを外れ「義務」から解き放たれても、
その最大の「目的」であるネオを攻撃し削除することに
すべてを注ぐことしかできなかったのです。
「始まりがあるものには終わりがあるのよ、」
オラクルの言葉です。
オラクルもプログラムです。
アーキテクト(創造主)がシステムの均衡を保つものであるのなら、
オラクル(預言者)はシステムの均衡を壊すものとして存在してきました。
なぜ、わざわざシステムの均衡を壊すものも創造されているのか、
それは先に書きましたように、マトリックスも陰陽二元性の世界だからです。
「マトリックス」の最後で、
ネオを仕留めたスミスは自分の「目的」を果たします。
「目的」を果たし終わったスミスは、
「始まりがあるものは終わりがある」と無意識につぶやいてしまいます。
(オラクルをもコピーしてしまったスミスです)
ただ1つの「目的」を達成したプログラム、スミスは消えてしまいます。
前述の<波動の法則 宇宙の意志>
https://nakagawaayuki.com/?p=1521
に書いたように、机も、カップも、タオルも、
その存在価値がそのものの「意志」でした。
言いかえると、その存在価値そのものが「目的」なのです。
だから、そこには「義務」も「権利」も存在していない
真に「自由」な状態であると言えます。
(そこに陰陽二元性以外の世界のヒントがある気がします)
机も、カップも、タオルも、
3次元物質世界で、摩耗し、老朽し、役目を終えるまで
「目的」は遂行されているので、
私たちは「物」を大切に扱うことを心掛けないとなりません。
3次元に存在する全ての「物」は、
宇宙の意志が働いている「愛」であるということも忘れてはならないのです。
私たち人間の、人生の最大の「目的」である「幸せ」は、
さまざまな色と形を持っています。
ネオを最初に導いた同士モーフィアスが言います。
「道を知っていることと、歩むことは違う」と…
「目的」は「幸せになる」ということ、
それを無意識に私たちは知っていても、
どう歩むかは、人それぞれで決まっていないのです。
そして「幸せ」という「目的」を創造することが出来るのは
私たちが人間であるからなのです。
(マトリックスシリーズ続く…)