<マトリックスに思う 選択と自由意思>No.158

日常生活の中で私たちは、実は常に選択を繰り返しています。
無意識に行う選択も、人の自由意思によって決められています。

映画マトリックスで、主人公ネオにオラクル(預言者)がいいます。
「あなたは選択したけど、理解するためにここに来た」
「誰にもでも選択があるわ、でも理解を超えた選択はできないの」
このオラクルの言葉は、とても興味深いのです。

私のセッションの例をあげてみます。
例えば、ある重要な会議があって、自分の案件を通したい場合、
このままでは、無理そうな確立が70%だったとしても、、
この時期に、この人物にこんな形であらかじめ打診をしておいてみてください。
と、その人が思いもしなかったアドバイスをしたとします。
しかしそのアドバイスをどのくらい理解したかは別です。

依頼者:「その人とは普段、口もきかない仲なんです」
私:  「やりにくい相手であっても、普通にメールはできるでしょう?」
依頼者:「はあ、メールくらいなら…」
私:  「この日のこの時間帯に、温和なメールをまず出してみてください」

「やっぱり、会議で顔を合わすくらいで普段は接点もなく、
他の件では敵対関係にあるし、メールは止めておこう」と思うか、
「実は、次回の案件ですが、大変に困っております。
少しお考えをお聞かせ願えませんか」と打診できるかは選択の問題です。

ここで、この選択をする際に自分がどこまで理解しているかが重要なのです。
後者は、同じ社内でも利害関係にあるので、
打診したことで、違う件を相手から要求されるかもしれません。
その際、今までは接点もなかった相手の考え方(価値観)を
自分も同等に考えてみようと思えるか、
それとも、私に言われたから、挨拶メールくらいなら出してみようと思うかで、
造られる未来がまた違うのです。

そして、未来は100%決まっていませんが、
メールで打診が出来た場合は、
会議でその案件が通る可能性を上げることになるのです。
ここで、反対派の相手がメールを何処まで考慮してくれるかの
リーディング(ちょっと先の未来や相手の心理を視る)は私の仕事です。
もちろん、けんもほろろに拒否される(または、余計に険悪になる)
ことが解っていれば、アドバイスはしないのですが、
例え、断られることが解っていても行動することを進める場合もあります。
案件が通らなかったとしても、理解した上での行動は、
ポジティブな付加を必ず得られるからです。

スピリチュアルな世界では、
パワースポットと呼ばれる場所だから行くとか、
風水で、ここにこれを置いておくと金運だから、とかあります。
その行動を取るか取らないかも選択ですが、
どこまで理解しているかも重要なのです。

ネオは、オラクルにソースに行きなさいと言われます。
言われたままにマトリックスの生みの親アーキテクトのソースに命がけで行きます。
そこで思いがけない選択を迫られます。
「ザイオン(人類)を取るか、恋人トリニティーを取るか、」
ザイオンを救う扉を選べば、女16人と男7人を選んで残し
人類は絶滅はしないが、トリニティーは死にます。
トリニティーを救いにいく扉を選べば、ザイオン(人類)は全滅です。

ネオは、トリニティーへ通じる扉を選びます。
この選択は、マトリックスの創造主アーキテクトも預言者オラクルも
予想していなかった(選択される確率がとても低かった)ものでした。
ネオがアノマリィーとして初めて取った行動です。
そのとき、アーキテクトは言います。
「希望は典型的な人間の妄想だ…
同時に最大の強さであり、弱さの源である」
「希望」は人間の「自由意思」が生みだすものです。

ネオは「希望」に賭けたのです。
トリニティーに通じる扉を選んでも救えるとは限らなかったのですが、
ネオはその深い「愛」と行動で、トリニティーを危機一髪で救います。
しかし、冷静に考えてみると、ザイオン(人類)を救う扉を
選んでいたとしても、アーキテクトの提案は、
選ばれた女16人と男7人以外は結局、全滅なのです。

実は、提案された条件に「ネガティブ」が入っている場合は、
受け入れてはならないのです。
話しは別な映画に飛びますが、
先日、現在上映している「アジャストメント」を観ました。
これからご覧になる方もいると思うので書くのは控えようと思ったのですが、
ごめんなさい、やっぱりちょっと書かせて貰います~、、、

「アジャストメント」でも、
危うい呆れた人類に干渉している存在がいます。
人類の未来がよりよくなるように主要人物の運命を
アジャストメント(調整)しているのです。
大統領候補の主人公デイビットと有望なダンサーのエリーズは、
デイビッドの調整のために引き合わされます。
しかし想定外だったのは、
デイビットとエリーズが瞬間で恋に落ちてしまったことです。

実は人間の運命の調整をしている存在たちは天使(神仏)なのですが、
「恋をする」という人間の「自由意思」は想定外のようなのです。
これは、なにもこの映画「アジャストメント」に限ったことではなく、
実際、私たちのご縁の問題もそうなのです。

「良きご縁をお願い致します」と神社で祈願し、
頼みを聞いてくれた神仏が「この人はどうでしょうか」と
廻り廻って縁談をもたらしてくれても「タイプではないので…」
という事象はたくさんあるのです。

運命の調整をしている存在たちは、
デイビットとエリーズを引き離そうと必死になります。
なぜなら、二人が一緒になると未来の運が落ちてしまうからです。
調整の対象であることを知っているデイビットに天使が言います。
「彼女と一緒になると、大統領にはなれないし、
彼女も有名ダンサーになれないで、幼児教室で終わる」と…
この条件に、デイビットは彼女のためにいったんは諦めます。

しかし、ここで、先のマトリックスのアーキテクトの提案を思い出してください。
人類を救うはずの扉でも、恋人を救うことはできないし、
救われてやり直せる人類は、
たったの選ばれた女16人と男7人しかいないのです。

私たちの日常でも、
「私さえ我慢していればいいんだから」
「私が黙っていれば、もめごとにはならないのだから」
とネガティブな条件が入っているものを、
選択して生きている場合も多いと思います。
でもネガティブな要素はすべてフォースに繋がります。
ネガティブな条件のものを選択しても真に良い未来はないのです。

ネオは「愛」と「希望」という自由意思のもとに、
ネガティブな条件を無視します。
デイビットも同様にエリーズをまた求めます。
自由意思の強さは選択の条件を超える力があるのです。
(デイビットとエリーズが最後にどうなったかは、
公開中ですので映画をご覧になって確かめてください)

私は決して、原発推進派ではありません。
しかし原子力という神秘な力を人類は軽視し正しく理解してきませんでした。
理解していないものを使うことに反対ですが、
たんに原発を廃止しないと平和で安全な世界が手に入らない
という考えは安易であると思います。
原発を止めるという同じ選択でも、
理解しているか否かで未来が違うからです。

これからますます、
ネガティブな条件を突きつけられる選択が多くなるでしょう。
しかしそれを超えるものは、
「希望」、「愛」、そしてフォースからパワーに転じる「勇気」という
私たちの「自由意思」しかないのです。

マトリックスシリーズつづく…