<マトリックスに思う 陰陽二元性の世界>No.157

映画「マトリックス」シリーズは、数ある映画の中でも
私にとって特別なものです。
もちろん大ファンの方も、たくさんいらっしゃるでしょう。
この映画の哲学的な部分に焦点を合わすと、
切りがなさそうなので、今まで深くは触れませんでした。
でも年に数度は必ず、
「MATRIX」(1999年作品)
「MATRIX RELOADED」(2003年作品)
「MATRIX REVOLUTIONS」(2003年作品)
を見直しています。

見直すたびに考えるさせられることや気付きがたくさんあって、
書きたいことが頭を廻ってしまいます。
まずはご覧になっていない方も、
お読みいただけるようなことから書きたいと思いますが、
アセンションと言われる特別な時代だからこそ、
是非、ご覧いただきたいと思います。
物質三次元から始まる地球に存在する私たちにとって、
マトリックスから学べることがたくさんあるからです。

私たちの地球は、物質の三次元から始まっています。
そしてそこには、必ず「陰」と「陽」の二元性の要素が存在しています。
まず、「陰」と「陽」の思いつく要素を並べてみますが、
イメージとしては先に「陽」と「陰」の順になっています。
プラス(正)とマイナス(負)

光と闇

男性性と女性性

表と裏

上と下
天と地

未来と過去

マクロとミクロ

動と静
能動と受動

肯定と否定
パワーとフォース

西洋的な思想になると、

善(神)と悪(悪魔)

と言う表現があります。

日本のアニメファンでもある監督のウォシャウスキー兄弟は、
映画「マトリックス」において、「善」と「悪」ではなく、
完全に「陰」と「陽」の世界として描き切っています。
「悪」の象徴は出てきませんが、
「パワー」に対しての「フォース」は登場します。

まずはこの陰陽二元性を解りやすい身近なことに当てはめてみます。
それは、私たちの感情の「好き」と「嫌い」です。
「好き」「嫌い」を人間関係に限ってみましょう。
占いでもある程度、解りますが、人には「個性」があります。
その「個性」を受け入れられることを「好き」、
受け入れられないことを「嫌い」と定義してみます。
すると、
「好き」な人が多い人、
「嫌い」な人が多い人、

「好き」のレンジ幅が大きい人、
「嫌い」のレンジ幅が大きい人、
がいます。

「好き」を「合う」、「嫌い」を「合わない」に置き換えてみます。
「好き」「嫌い」という二元性を持たないことは「中立」とも違います。
二元性の世界から逃れられない私たちにとって「中立」とは、
「合う」「合わない」が混在していても
「調和」が取れている状態を言います。
解りやすく数値で表してみましょう。
「好き」の大きさが「1」の人が10人いたら、好きの総数は「10」です。
でももっと「好き」な人がいて、「好き」の大きさが「10」あって、
でも1人しかいなかったら、「好き」の総数は同じ「10」です。

西洋占星学の要素としては、
風のサイン(双子座、天秤座、水瓶座)は、
「1」の人が10人いて「10」になるケースが多く、
水のサイン(蟹座、蠍座、魚座)は、
「10」の人が1人いて「10」になるケースが多いと分析します。
(西洋占星学では太陽星座の他10天体あるので、
どちらの要素もある場合は、複雑になります)
自分の「好き」の総数を、実は自分で調節しています。
この「好き」の量をあげると、より「合う」を増やしていけて、
バージョンアップ(成長)になると考えます。
しかしここで、先の2例によって違いが生じます。
「好き」の総数を「100」に増やせても
1つの「好き」が「1」のまま100人になる場合と、
1つの「好き」が「100」になっても1人しかない場合があるからです。
総数は全部「100」ですが、これこそが「個性」というもので、
どちらが良いというものでもないのです。

さて、マトリックスの主人公ネオの場合は、
もちろん、特殊能力者のアノマリーで、
予言の救世主と言われ重要な使命があるように登場してきます。
しかし彼は、人類や世界のことより、
ただただ愛する恋人トリニティーが好きで、
その一人の女性に向かうパワーが彼の全てのパワーに繋がっていくのです。
(マトリックスは究極の恋愛映画であるとも言えるのです。)
マトリックスを造ったアーキテクト(創造主のモデル)は、
ネオに究極の選択を迫ります。
人類が生き残る道と、愛するトリニティを救う道です。
ネオは人類(ザイオン)より恋人(トリニティー)を優先します。
救世主と呼ばれるアノマリーは彼で6番目ですが
人類より恋人を選んだのはアノマリーは
ネオが初めてなので、アノマリー中のアノマリー
(例外中の例外)ということになります。

上記の例なら、
ネオは1つの好きが「1000」くらいになるタイプだったのです。
もし、1つの「好き」が1000人になるタイプだったら
迷わず、人類(ザイオン)を選んでいたことでしょう。

ネオが陰陽二元性の世界に存在することによって、
マトリックスがバランスと取ろうと、同じ総数のフォースが生まれます。
それがスミスです。
スミスは人間ではなくプログラムです。
マトリックスを監視する特別なプログラムとして存在していました。
しかし、ネオが進化するにつれて、
アーキテクトの想定外のプログラムにスミスも進化していきます。
スミスもアノマリー(例外)ですが、アノマリー中のアノマリーです。

スミスは誰も愛していません。
「好き」のパワーがないのです。
パワーの反対のフォース(否定の力)が「1000」の状態です。
拮抗したネオとスミスは対決する運命になります。
そして「1000」というレンジの大きい陰と陽の相殺によって静寂に戻ります。
物質三次元から始まる私たちの地球、
陰陽二元性に成り立つ私たちの世界、
何度も何度も、文明は生まれ進化し、滅んできたのです。
今また、2012年~2013年をピークとし、
地球と私たちの世界(意識)は変わろうとしています。

ネオとスミスの対決のように、あらゆる分野において、
レンジの大きいパワーとフォースがぶつかっています。

マトリックスで最後は、ネオはスミスと共に消えてしまいます。
しかし、ネオの行為は大きなパワーとなって、
人類(ザイオン)にもマトリックス(仮想現実世界)にも影響しました。

二元性における世界では、
宇宙の原則として、フォースはパワーに勝てないのです。

しかし陰陽二元性の世界から進化した世界を私たちは知りません。
地球という「場」は最古から今まで、人類に二元性の世界を与えてきました。
私たち人類は、最終的にこの二元性から卒業しないと次の段階に行けないのです。

なぜ、次の段階にいくのか…
それは、宇宙に万弁するすべての存在に共通の「成長の法則」があるからです。
二元性のない世界を神仏や大天使から想定することはできますが、
このお話は、マトリックスから外れるのでまたの機会に致します。

マトリックスシリーズつづく…