<ハウルの動く城>No.17

前回<フェイバレット>「リー・リトナーのライブへ」に書いたが、リトナーのギターとデイブのピアノの音色に「ハウルの動く城」からの感情が入ってきた。私は「情景」より先に「感情」が入ってくる。
子供のときのハウルの寂しくて仕方のない、やりようのない感情…である。
一人家で「ハウルの動く城」のDVDを見直した。

「ハウルの動く城」(2004年作品)は、宮崎駿監督作品の映画であるが、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ氏(1934年8月16日獅子座、イギリス生れ)の「魔法使いハウルと火の悪魔」というファンタジー小説が原作である。ジョーンズ女史はオックスフォード大学であの「ロード・オブ・ザ・リングス」の作者J・R・R・トールキン氏に師事を仰いでいる。
魔法がテーマの小説で、イギリス人女性で、獅子座生まれ、とくると、ハリー・ポッターのローリング女史とすべて同じである。
宮崎監督は「ハウルの動く城」を恋愛映画にも仕上げているが、ここにまた<フェイバレット>「神さまとの交渉」に書いたような多次元世界の存在と契約をする例が出てくる。

子供とき、魔法の才能があって一人で過ごしていたハウルは、ある時、火の悪魔カルシファーと契約をする。一人ぼっちのハウルにとって寂しいと思う「心」がなければ楽だと思ったのだ。自分の心臓(心)をあげる代わりに、カルシファーを僕に置き、その力をずっと使えるようにする。
「心」の象徴が「心臓」になっている。映画では、カルシファーは、表情の豊かなかわいい「火」に描かれているが、あくまでも「悪魔」である。
駄天使ルシファーにカ(火)がついてカルシファーとは!日本語にすると面白い一致の言霊だ。
『ルシファーとは、キリスト教の伝統で悪魔「サタン」の別名である。しかし、ルシファー(Lucifer)とはラテン語で「光を帯びたもの」「明けの明星」を現すものとして用いられ元来、サタンや駄天使とは一切無縁のものであった』(wikipediaより)

この話は深くて難しい。
ハウルは正義感から戦争を起こしている王国と戦っている。
火の悪魔カルシファーに心臓を預けてしまったハウルは「心」がないので、魔法の力(魔力)を使えば使うほど、醜い姿(悪魔)に変わっていくのである。
それは例え正義でも、破壊的な力は「魔」に通じるということであり、「ハウルの心臓」は人の中に宿る神(御魂)そのものなので、それを失ってしまったハウルの自由意識は「魔」を防げないのである。

私たち「人」は皆、自分の中に神(御魂)を宿しているので、どんな「悪人」と呼ばれる人間でも自分の意識で「魔」(別名:「スターウォーズ」のダークサイド、暗黒面)から逃れて真っ当な世界に戻ってくることが可能なのである。だがハウルは心臓を失っているので自力では戻れないのである。
「悪魔に魂を売り渡した」のと同じ契約になる。そこにソフィーという女性の「愛」が加わる。

話しは逸れるが、他の宮崎駿(1941年1月5日山羊座生)監督作品を、年齢の低い順に「恋愛映画」として紹介しよう。

「崖の上のポニョ」(2008年作品)
5才(幼稚園)の男の子と女の子の恋愛である。だがこれは前にも書いたがこれからの時代のエッセンスがいっぱいの「アセンション」映画である。(<ファイバレット>「ポニョ!アセンション」参照)

「千と千尋の神隠し」(2001年作品)
10歳(小学生)の女子と竜神と思われる男の子の恋愛である。
愛し合っているのに、住む世界が違うので別れることになるのだが、見事にその運命を受けいれている。単なる恋愛の「愛情」ではなく本物の「愛」だからである。(<サインズ>「愛」参照)

「耳をすませば」(1995年作品)
15歳(中学3年生同士)の恋愛である。
私はこの映画が大好きである。いくつになっても「恋愛とは然るべき!」のお手本だ。
理想系の恋愛が描かれていて心が洗われる。(是非ご覧になっていない方はお奨めです。)

「おもひでぽろぽろ」(1991年作品)
27歳の東京のOLと25歳(2つ年下)の山形の農家の青年との恋愛である。
宮崎監督からみて、27歳女性は微妙なお年頃なのか…やたらと老けてオバサンのような容姿が気に入らない。今の27歳なんて、まだまだこれからなのに、シビアに描かれている。
ただし昭和30年代生まれの人は、風景や当時の流行りなどM子的(写実的)に観ると面白い。
M子はこの映画を観て細かいディティールに興奮していた。

そして「ハウルの動く城」(2004年作品)
ソフィーは「花も盛り」の18歳!宮崎監督からみて、18歳は「女の子」から「女」に成り立ての一番美しい年齢なのだ。西洋占星学の金星の世代である(<サインズ>「北京五輪に思う」参照)
一番ロマンチックで、一番「女心」が満載である。
そのソフィーの「愛」が心臓のないハウルを救う。
 
一見美少年のハウルと、一見冴えない18歳の娘ソフィーの「恋愛物語」・・・
しかしまずは、その縁が生まれなければ、始まらない。
すべては、はじめに「縁」ありき・・・「縁」はお金では買えないものの1つである。
世の中にはたくさん、お金を払って商談相手や結婚相手を紹介してもらえる仕組みも存在するが、大事な縁ほど、お金を払ったところからは遠いものだ。
しかしもし、簡単にめぐり会えたとすれば、それまでに、天に貯金がたくさんあったからであろう。

魔法使いハウルと帽子屋のソフィーの「ご縁」は、一見ワルモノの「荒地の魔女」が作ってくれる。運命とは皮肉で、荒地の魔女が18歳のソフィーに呪いをかけて90歳の老婆の姿にしなければハウルとの恋愛は始まらなかったのだ。
ソフィーは「愛」がたっぷりあるタフな女性で、自分に呪いをかけた荒地の魔女を憎むこともなく「愛」を持って接する。そして、ハウルが醜く変わってもソフィーの「愛」は変わらない。(続きはDVDをご覧下さい)

まだまだ、薀蓄の講釈をしたいが、Mちゃんにだけ聞いてもらった。
(<ファイバレット><サインズ>に登場するMちゃんとM子は別人です。念のため・・・)
そのMちゃんがまだ観ていないというので、「崖の上のポニョ」を一緒にまた観た。
Mちゃんは感動で泣いている。
「ハウルの動く城」では「オンナ」が「オトコ」を愛し救うのだが、
「崖の上のポニョ」では「オトコ」が「オンナ」を愛し救うのだ。
 
あなたは、愛したいですか? 愛されたいですか?
オンナは、常に誰かを愛していたいものです。
できれば、自分を愛して護ってくれるオトコを、です。
でも今、誰も愛するオトコがいなくても、「愛」は常に出会う人に惜しみなく・・・