<義務と権利>No.28

「義務」と「権利」は真反対でありながら、その境界線は実は微妙である。
西洋占星学の天体の象徴としては、「義務」は土星、「権利」は木星の領分である。
人の営みは「義務」と「権利」のバランスで成り立っている。
何が「義務」で、何が「権利」なのか考えてみよう。
3次元物質世界において、私達は肉体を維持するために「食べる」。<サイン>「日月神示と五感の上昇」に書いたが、息をしているだけで生きているブレスピープルなる「人」の出現もあるが、通常「人」は「食べて寝ない」と生きられない。つまり「食べる」ことも「寝る」ことも「義務」なのである。「寝る」ことも義務なのに睡眠時間が多いと「権利」を主張している気分になるだろう。「義務」と「権利」は表裏一体なのである。

さて、お休みの日に何をしようかぁ〜
洗濯や掃除など家事には「義務」を感じるはずだし、ボーっとテレビを見てるのは「権利」に感じるはずである。

私は常に、「自由」な心(状態)でありたいと思っている。
「自由」とは『他のものからの拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう』(Wikipediaによる)
「自由」に「義務」は含まれていないと思うだろう。
だが、究極の「自由」には「権利」も存在しない。
「義務」があるから「権利」があるのであって、二者は陰陽関係になっている。

「義務」を「義務」と感じず、「権利」を「権利」と主張しない。
個人個人のアセンションを考えるとき、自分の「義務」と「権利」から整理してみると判りやすい。
今まで「義務」だと思っていたことを「権利」であったのだと価値観を変換してみる。
または逆に、今まで「権利」だと思っていたことが実は「義務」であったと思い直してみる。
価値観を柔軟にするトレーニングである。

「人」は、特に日本人は「義務」を重要視する傾向にある。
「私の今世の使命は何でしょうか?」
「私の組織における役割は何でしょうか?」
「あなたは人類を救済する使命を持っています」
「あなたは一族の調和の鍵になっています」

「義務」的な思考は、「人」を奮起させ、「生きがい」を見出せさせる。
通常の人は「権利」だけだと、「やる気」が起きないのである。
スピリチュアルの登竜門は、ほとんどここから始まる。
だがこれらすべてが「権利」だったら…
「私の今世の使命は何でしょうか?」
「○○○です。あなたの使命は○○○ですから、あなたは一心にこれをやり遂げなければならないのです。」
と義務的なお告げを、神さま(または師と仰ぐ人)から言われれば、納得して、奮起するだろう。
しかし、「私の今世の使命は何であろう?」と自分自身に問うて、
そう、答えが出るまで時間をかけて、何度も…、何度も…、問うて…、問うて…
「きっと○○○なのだ!私はこれをやり遂げるために生まれてきたのだ!」と自分の中だけで答えを見つけ納得できる人の方がずっと上(高度)なのである。
さらに、自分自身の中で見つけたこの答え「やるべきこと」を「義務」だと捉えるか、「権利」だと捉えるかで、また違う。
「権利」だと捉えられたら、あなたは自身の「アセンション」のクリアに近づくのである。

意地悪な問いをしよう。
「今の仕事に満足していますか?」
「今の人間関係で幸せですか?」
素直に「はい」と答えられなかった人は多いであろう。
でも実はその状態は「権利」であって、あなたが選んだ状況であるとしたら…
すべて「義務」ではなく、不満な状況さえも「権利」が作っていることだとしたら…

時々、登場願う友人M子は、現在、朝7:30に出社し、終電近く夜中12:30まで会社で働いているそうである。ひどいときは週に一度の休みもないそうだ。
「忙しくて、忙しくて、ひぇ〜」とメールが来たので、「M子が忙しいのが好きだから、それは自分の鏡だよ、」と冷たく返した。
しかしM子は「そっかぁ〜、私が忙しいのが好きなんだぁ〜!」とへこたれなかった。(アセンション?はぁ〜?チンプンカンプンです!)スピリチュアル性には、乏しいがさすが私の友人だ。
「義務」を「権利」と捉えることが瞬時にできている!
M子のような、このような「人」には劇的なアセンション事件は起こらないであろう。
また上記の質問に素直に「はい」と答えられた人は、たとえアセンション事件が起きてもクリアの早い人であろう。

アセンション事件には、じっくりと考えさせられる場合と、急転直下に落とされる場合とがある。
何が起きてもおかしくない危ない世の中であるから、自分の「義務」と「権利」を整理して、それを超越した「自由」な心を持っていたい。