<顕在意識>No.4

私の認識では、通常「意識」には、大きく分けて「顕在意識」「潜在意識」「超意識」がある。(「偏性意識」は後ほど…)

先月9月30日、「船井幸雄オープンワールド2007」に参加した。船井幸雄先生の最後の講演で、「顕在意識は私達が今いる3次元、潜在意識が成仏してない霊がいる4次元と成仏している霊がいる5次元、超意識は神仏がいる6次元である」と表現した。ものすごく納得である。「潜在意識」のブロックが人生の目的達成や希望の妨げになるのであり、ここに持って生まれた「運命」(カルマなるもの)が詰まっているのである。ネガティブな「潜在意識」の設定を変える試みは、心理学者やヒーラーの手によって、催眠療法を主としてされてきた。「潜在意識」を変えることこそが、「運命変更」の鍵でもあるが今日は「顕在意識」について話したい。
私の認識では、「顕在意識」とは「肉体」を持ったときに発生するものではないかと思う。つまり、今世の「顕在意識」は今の「肉体」だけのものである。

では、「前世」の意識はどうなっているのか?おそらくは良いものも、悪いものも「潜在意識」の一部にたくさん詰まっていると思われる。
先の船井先生の言葉を借りれば、「潜在意識」は「成仏した霊」と「成仏していない霊」のどちらも含む「領域」であるからだ。しかし、あまりに暗い前世の場合は、「前世」の「顕在意識」が「魂魄」となり、「霊」のようにひとりさ迷っている場合もある。

話を今の「顕在意識」に戻そう。
私達には「魂」の先祖である「前世」があるが、「肉体」の先祖には「家系」がある。
今の肉体(ボディ)は両親あってのものであり、「一族的」「民族的」な継承がある。それは何も肉体的な特徴に限らず、性格的なものも含む。

つまり、「肉体」を持つことで発生する特徴的な「顕在意識」があるということである。
スピリチュアル性の高い人達はよく「来世のために善行をしておきましょう」という。
でも今の肉体を持った「私」は「私」しかいない。「来世」の意識は「私」ではないのだ。今の「私」は「来世」の「私」の潜在意識にいるのだろうか?それは嫌だなぁ〜、いや、でもそれが楽しいのだろうか?

「来世」の「私」に委ねて、あるいは同化して、ハラハラどきどき、また人生を送っているのだろうか?
映画「2001年宇宙の旅」(1968年公開)、「2010年宇宙の旅」(1985年日本公開)を先日続けて観た。この映画に登場する高度に進化したコンピュータ「HAL9000」はあたかも「意識」を持っているように「人」に接する。
「HAL9000」の「意識」に、「思考」「感情」「気遣い」「ストレス」「不安」などが出てくる。近未来、高度な技術により、このようなコンピュータを作り出すことは可能であろう。

「コンピュータ」の「ハードウェア」を「人」の「肉体」に置き換えて、「ある臨界点」に達したときに、コンピュータに新たな「意識」が生まれてもおかしいことではないと思う。

映画「2010年宇宙の旅」の最後で「HAL9000」は、自らが犠牲になることを知る。
コンピュータならではの冷静さで仕事を全うするが、霊体になった「人間」ボーマンに問う。「私は、何処にいくのかと…」
ボーマンは答える。「私と同じところだよ」と…(なぜか泣けてきた)
(※小説では、「2061年宇宙の旅」「3001年宇宙の旅」と続編がある。)