故手塚治虫先生(1928年蠍座生まれ)の名作「火の鳥」(1954年〜連載)の「生命編」(1980年)にクローン人間が登場する。視聴率を上げるためにクローン人間を使って殺人番組の制作が目論まれるというものだ。当時は有り得ないSFの世界の出来事として読んでいた。
また2年前に観た映画「アイランド」(2005年)では、本人の臓器が将来、駄目になった時の保険として、または代理母出産に、クローン人間を養成しておくビジネスが展開される。主人公のクローン人間の男女は自分達がクローンであると知らないが、保険をかけているオリジナルの人間の臓器移植や代理母出産の完了と共に殺される事実を知り逃走するのである。
私達は皆、母親のお腹の中にいるときに御魂を貰う(前世と同じエネルギー体が入る)わけであるが、クローン人間には御魂が入っているのだろうか?
先日「バイオハザード」を観た。
中学生の頃から白土三平先生(1932年水瓶座生まれ)の「忍者武芸長」(1959年−1962年)「サスケ」(1961年−1966年)「カムイ伝」(1964年−1971年)などの戦国、忍者物を愛読してきた私にとって、人が非情に切られ死ぬシーンは、哀しく切なくあるがそれを通り越して強く生きることの意味を痛感してきた。
少年漫画を読み慣れている私と違って「バイオ…」に付き合ってくれた友人は恋愛映画(韓流も)が好きなごく普通の女性なので、生き物が惨たらしく死ぬエグいシーンに、もうドキドキ仰天ビックリしてしまった。
「バイオ…」シリーズは細菌兵器によって人間の生命体系が変わってしまう世紀末ものである。主人公アリスはアノマリィであり人類の希望である。まだ映画が公開されて間もないので詳しいストーリィ展開は控えるがここでもクローン「アリス」が登場する。
<サイン>に投稿した<コンピュータと人>にも書いたが、肉体を持つとそれ特有の意識(顕在意識)が発生する。つまり、クローン人間も肉体を持っているわけだから、それ固有の意識が生まれるはずである。しかし御魂は入っているのか、潜在意識はあるのか、それは解らない。たぶんオリジナルの人間より、シンプルな意識を持っているのではないだろうか…。また、「バイオ…」シリーズにも高度なコンピュータが登場する。幼い少女の姿に投影されるが、固有の意識を持っていると思われる。
「生き物」の定義とは、いったい何なのであろうか…?
この3次元に当たり前のように物質として存在しているものには、すべて「意識」があるのかもしれない。「意識」があれば「生き物」である。