<徳を積む>No.21

「徳を積む」とはどういうことであろうか?
各国各地での自然災害に対しての寄付やボランティアは、「徳を積む」ことになるのであろうか?特別な富裕層が慈善事業に多額の寄付をしたりするのも「徳を積む」ことになるのであろうか?真の「徳を積む」こととは、もっと多次元と連動した行いではないかと思う。

つまり、自然災害に寄付したお金は、被災地の人の食料や毛布になって交換されるし、多額の寄付を慈善事業にしても運営資金やら何やらで消えるだろう。救済ではあるが、目に見える3次元的な流れでしかないので、真に「徳を積む」こととは違う気がする。

日本はお金持ちなので、同じ人類として外国に支援することは、ある意味当たり前なのではないだろうか・・・
それは、友人が困っているときや、例え友人でなくても、道端で困っている人がいたら、誰にも助けようとする親切心はあるだろう。それと同じで特別「徳を積む」ことではない。良いことをたくさんしているつもりで徳が高いなどと驕っていてはならないのである。

先日、ヒーラーのある先生のセミナーに参加した。受講内容にスピリチュアル的な時間の考え方があった。
私なりの解釈も入っているが簡単に紹介しよう。
第一の時間「まず生きる」…この三次元地球に生まれ、まずは生存する。
第二の時間「捕らわれる」…周囲の環境が気になりだして自分らしさが見えなくなる。
第三の時間「自分らしさ」…真にこの世で何がしたいのか自分らしさに気づきそれを実行する。
第四の時間「人のために」…自分らしさの確立を経て、さらに人(他人)のために役にたつ存在になる。

その先生は「徳を積む」という表現をしないで、「ボランティア」という表現をした。
海外経験も豊富な先生は「日本では無償の行為をボランティアと言いますが、外国では有償でも人のためになることはすべてボランティアと言います」と話した。第四の時間は「ボランティア」も行えるこの世に生まれた人の最終段階である。「徳を積む」と「ボランティア」はイコールではないと思うが、まずは身近な「ボランティア」から始めたい。

ノーベル平和賞(1979年)受賞の際、聖なる人マザー・テレサ(1910年8月27日乙女座生 – 1997年9月5日、カトリック教会修道女)が「世界の平和のために私達はどんなことをしたらよいですか?」という記者の質問に
「家に帰って家族を大切にしてあげて下さい」と答えた。

余談だが、「ゴルゴ13」を紹介するのがなかなか好評なので、
マザー・テレサにまつわる1998年5月作品「感謝の印(しるし)」も紹介しよう。
ゴルゴ様は、ある神父の依頼を受けターゲットの女性に標準を定めスコープを覗いていた。すると彼女が妊娠しているのに気づく。ゴルゴ様は、どんなに汚い理由でも依頼者が正直であれば仕事を引き受けるが、自分への嘘は決して許さない。嘘があったことを見抜いたゴルゴ様は依頼者の神父の方を消してしまい、仕事は引き受けなかった。
しかし帰路の途中不運にもゴルゴ様の乗ったバスが事故に合ってしまう。命からがら、事故現場から這い出たところをターゲットであった女性に見つけられマザー・テレサの元に運ばれる。
ターゲットだった女性は誰かに命を狙われている気がする、とマザー・テレサに救いを求めていたのであった。
ゴルゴ様を見て一瞬で事態を見抜いたマザー・テレサはゴルゴ様に説く。
「もし借りに彼女の命を狙う男が私の元に救いを求めてきたとしても、私は全力を尽くして彼を保護するでしょう」と・・・
その言葉通り、警察にゴルゴ様を引き渡さず、体調が回復するまでかくまったのである。
後、マザー・テレサは天に召される。匿名で100万ドルの寄付の申し込みが亡きマザー・テレサの修道院に届いたのであった。

家族であっても別な人格を持つ別の「人」である。
家族を大切にするのもボランティアの第一歩なのではないだろうか…
人の「想念」の結集が、その「場」に、あらゆる「環境」に、「地球」に、影響を及ばし、また私達「人類」に返ってくる。
私達一人一人が、少しでも、マイナスの想念(ネガティブ5因子:「憎しみ」「妬み」「不満」「咎め」「不安」)を無くすことが、私達人類のため、地球のためになって繋がっているのである。

人知れず、多次元的(霊的)に人類を、地球を、護る行為をしている人達もいるであろう。真に「徳を積む」行為であると思う。

母は募金や寄付をよくする人で、電車に乗れば立っているお年寄りに必ず席を譲っていた。いまや自分が70代後半なのに、それでも自分よりお年を召した方を見ると座っていられない性分で母にとっては当たり前のことのようだ。
そんな母を見て育ったので、私も席を譲る癖は自然に身についている。
まずは家族のために、そして身近な友人のために、さらに出会った誰か他人のために、自然に「ボランティア」は行いたい。
そして、天地に通じるエネルギーを蓄えて真に「徳を積む」行為ができるよう願いたい。