<パワーかフォースか 改めて検証>No.167

私たちはこの3次元から始まる地球に何度も転生していると思われます。
なんのためにでしょうか?
魂の成長のためにです。
他の理由も探してみましたが、
やはり、魂の成長(進化)のためと思われます。

では、魂の成長とは具体的にどんな過程なのでしょう?
まず3次元から始まる地球では、
肉体を持つことによって急速な成長を促せることになります。
肉体があることで喜怒哀楽をはっきり体現できるからです。
年齢を重ねると穏やかになる人や、逆に快活になる人もいるでしょう。
でも根底にあるものは、私たちの魂は常に成長を望んでいるということです。

魂の成長を自分で確かめることはできないのでしょうか?
目安として意識レベルを検証することは1つの方法と思います。
デヴィッド・R・ホーキンズ氏著
「パワーかフォースか」について何度か触れてきました。
代表的なのは下記の2つのブログです。

<アセンション 人類の意識>No.135
https://nakagawaayuki.com/?p=1233
<パワーかフォースか 意識の科学>No.152
https://nakagawaayuki.com/?p=1412

以下は簡略した(意識のマップ)です。

レベル、 ログ、    感情、   プロセス

悟り、  700~1000、  表現不可能、純粋な意識
平和、  600、   至福、   啓蒙
喜び、  540、   静穏、   (神)変身
愛、   500、   崇敬、   啓示
理性、  400、   理解、   抽象
受容、  350、   許し、   超越
意欲、  310、   楽天的、  意図
中立、  250、   信頼、   開放
勇気   200、   肯定、   能力

<分岐点>

プライド 175、   嘲笑、   得意
怒り、  150、   憎しみ、  攻撃
欲望、  125、   切望、   奴隷状態
恐怖、  100、   心配、   引っ込み
深い悲しみ 75、   後悔、   落胆
無感動、  50、   絶望感、  放棄
罪悪感、  30、   非難、   破壊
恥、    20、   屈辱、   排除

200以上で測定されるポジティブなパターンを「パワー」と呼び、
200以下のネガティブなパターンを「フォース」と呼びます。
私たちは日常生活の中で、いろいろな感情を日々味わいますので、
意識レベルは一定ではありませんが、
おおよそ、その人の平均意識レベルはあります。

実際、キネシオロジーで意識レベルを測るということは、
魂(一霊四魂)に許可が必要ですし、
測定者が200以上の意識レベルに達していないと
正しい測定はできない、とされています。
ましてや自分自身を正確に測定することは難しいことのようです。
正しく測定してくれる方やサイトもあるようですが、
以下からイメージしてみてください。

『』は「パワーか、フォースか」からの抜粋です。
身近な解釈とともに検証してみましょう。


20:恥
「恥」のレベルは死に近いものです。
なぜなら、恥があるからこそ意識的に自殺が選ばれるか、
あるいはもっとも微細なことではありますが、
人生を維持していこうとする手段を選択しないからです。

30:罪悪感
私たちの社会で、人を操ったり罰したりするために
よく使われるのが「罪悪感」です。
「罪悪感」にとらわれてしまうと、
結果として「罰」の意識に支配されてしまいます。

50:無感動
このレベルは貧困、絶望、希望を失う、
といったことが特徴として挙げられます。
世界や未来は灰色に見えるでしょう。


75:深い悲しみ
このレベルは悲しさ、損失、依存に関係しています。
人はだれでも一時的にこのレベルを経験しますが、
このレベルに固定されてしまうと、人は絶えず続く後悔の中で
うつ病のような生活を送ってしまいます。

肉体の「死」は全ての生命体に訪れます。
近しい存在を失ったとき「深い悲しみ」にくれる状態になります。
もっと、ああしてあげればよかった、こうしてあげればよかった、
と「後悔」の念も引き起こします。


100:恐怖
このレベルになるとエネルギーが出てきます。
危険に対して恐怖を抱くことは、健全だということです。
世界のほとんどは恐怖に支配されているのですが、それが人間の
やむない行動の源泉となっています。
敵に対する恐怖、老いたることや死に対する恐怖、
拒否されることへの恐怖など、
数多くの社会的恐怖が、ほとんどの人々の生活における
基本的な動機づけとなっています。

現在、放射能の恐怖に怯えている方も少なくないでしょう。
今月末、服部禎男博士の本が出版される予定です。
80年間封印されてきた放射能の真実が明らかになりますので
少しでも放射能の恐怖から解放されるのではないかと思っています。
「恐怖」は「心配」を引き起こします。
地震などの災害や未来の経済困難のことを考え出すと、
誰しも明日を安心できない状況での意識レベルです。


125:欲望
「欲望」は、経済も含めて人間の活動の広い領域を動機づけます。
広告業者は私たちの「欲望」をニーズに結びつけるようプログラムしながら、
衝動的にもてあそぶのです。
「欲望」は目標達成するか、その見返りのために
努力をするようにと、私たちを動かします。
お金や名声を得ることに関する欲望が、恐怖のレベルから
抜け出した人々の優先的な人生の動機になります。

私の20代後半~30代前半はバブル期でした。
あれも欲しい、これも欲しい、でギラギラしていた時期もありました。
「欲望」とは欲しいとなると、
どうしても手に入れないと気が済まない状態です。
それが「物」(お金)であれ、「恋」であれ、「立場」であれ、
「切望」していても、まだ手に入らない不満な状態です。


150:怒り
「怒り」は殺人や戦争に通じるのかもしれませんが
エネルギーレベルとしては「死」からはるかに遠いものです。
怒りは創造と破壊のどちらにも通じることができます。
社会的な不平感や処罰、不平などに対する怒りは、社会構造に変化を
もたらす大きな社会運動を生んできました。
しかし「怒り」は恨みや復讐心を表すので爆発しやすく危険でもあります。

理不尽なことや失礼なことをされると「怒り」が生まれます。
「怒り」はなぜ「欲望」より上なのでしょうか…
それは「怒り」には「正義」を感じて起こる場合があるからです。
情けない政治家やあり得ない他国の状況を見て
「怒り」が湧いてくる人もいるでしょう。
こういった「怒り」は個人的な「欲望」より視点が上なのです。
しかし「怒り」は「憎しみ」をも生み「攻撃」を仕掛けるようにもなります。


175:プライド
プライドは現在人の大方が求めているレベルです。
このレベルに達するにつれて人間はポジティブになります。
自尊心が湧いてくると意識の低いレベルで経験したすべての苦痛は和らぎます。

一見「プライド」を持つことは高貴なイメージにも繋がりますが、
実は独りよがりにすぎないということです。
自分は他者と違うという意識は「嘲笑」の裏返しであり、
「得意」なことを主張することになります。
「得意」なことがあることは悪いことではありませんが、
「プライド」という意識で主張するものではないのです。

ここからの意識は「フォース」から「パワー」に転じます。


200:勇気
「200」レベルにおいて初めて「フォース」から「パワー」へ展開します。
これは生きることに対してポジティブかそれともネガティブな
影響を与えるのかを識別できる臨界点です。
「勇気」のレベルにおいて「パワー」が到来します。
さまざまな能力が生まれるレベルであり、探求、達成、忍耐力のゾーンです。

「勇気」には沸き起こる「肯定」が伴います。
そして「勇気」を持つと「能力」を信じるようになるのです。
「取りあえず、やってみよう」
「やれることはすべてやったはずだから結果を恐れない」
「怖いけど、立ち向かおう」
「恐怖」に勝るものは「勇気」であるし、
内に向かうだけの「プライド」に対して外に向かっていく「勇気」は、
ポジティブなエネルギーとなり他者に影響を与えます。


250:中立
「中立」であることは、結果に比較的にこだわらないことを意味します。
自分の思いどおりにならないことに対する恐れや
いら立ちは、もはや体験しなくなります。
自分のパワーが感じられると、人は簡単におじけづいたりしませんし、
他人に認めてもらう必要はありません。
浮き沈みのする人生で、基本的に「250」のレベルの
態度をを持ちながら自然体でいられます。

陰と陽の二元性を体感できるようになり、
AというものとBというもののどちらにも偏らない「信頼」を覚えます。
それはある種の「開放」を引き起こしていきます。
Aというものに向き合い、Bというものにも向き合っていますが、
「信頼」があるうちは、どちらにも傾かないのが「中立」です。


310:意欲
成長はここで急速に早まります。
なぜならこのレベルの人々は、周りから求められて進歩するからです。
「意欲」とは人生に対する内面の抵抗に打ち勝って前向きに生きることを意味します。
このレベルでは、だれにでも好意をもって接する人間になるので、
社会的にも経済的にも成功は自動的についてきます。
「意欲」は他者の求めに共感し敏感に反応します。
意欲ある人々は社会を築く貢献者です。
逆境から立ち直り、経験から学び自己修正できる傾向があります。

「意欲」はなぜ「中立」より上なのでしょうか…
「中立」ではAとBに「信頼」を寄せましたが、どちらでもない状態でもあります。
「中立」とは実はAもBも選べていないのでCを見つける必要があるのです。
「意欲」とはCを見つけてそれに向かっている前向きな状態です。
さらに「楽天的」になると天の「意図」も加わってきます。

下記の<波動の法則シリーズ>で書いてきましたが
<波動の法則 中性子は愛>
https://nakagawaayuki.com/?p=1509
<波動の法則 宇宙の意志>
https://nakagawaayuki.com/?p=1521

「意欲」とは、宇宙の「意志」と個人の「意識」が
一体になったもの(天命)に近づいた状態、
あるいは見つけた状態であると言えるでしょう。

「パワーかフォースか」でのカウンターバランス(釣り合い)です。

700レベルの個人1人と、 200レベル以下の7000万人の個人
600レベルの個人1人と、 200レベル以下の1000万人の個人
500レベルの個人1人と、 200レベル以下の75万人の個人
400レベルの個人1人と、 200レベル以下の40万人の個人
300レベルの個人1人と、 200レベル以下の9万人の個人
700レベルの個人12人と、1000レベルのアバター1人

「300」レベルある誰か1人と
「200」以下(フォースレベル)の90000人が
人類の意識としてのバランスを取ります。
「意欲」は「310」ですので、
さらに多くの「200」以下の人とのバランスを取ります。
意識レベルの数値はわずか「1」の違いでも大きいのです。


350:受容
このレベルでは自らがソース(源)であ、自分自身が人生の
クリエーターであるという意識と共に大きな変容が起きます。
このレベルを受身と誤解してはいけません。
受身は無関心の徴候ですが「受容」とは人生をあるがままに受け入れることです。
そこには感情的な穏やかさがあり、そして否定を乗り越えると、
物事の見方が広がってきます。
人はこの状態で歪みも誤解もなく、ものごとを見ることができます。

自らに起こる事象と関係の全てを受け入れている状態です。
運命を「超越」しているので捕らわれているものがありません。
もちろん過去にも未来にも捕らわれていないということになります。
「許し」とは全ての事象と関係に対して許していることで、
自分が許されているかどうかということではないのです。
私は最初、自分が全てを許せたとしても
果たして自分は、これまでの全ての事象や関わった人達に
許されているのだろうか、と考えました。
しかし自分が許されているかどうかという観点は「不安」になります。
「不安」を持つと「恐怖」の意識レベル「100」に落ちます。
能動的な「許す」も受動的な「許される」も同等な「受容」なのです。


400:理性
理性は大きくて複雑な量のデータを扱うことができ、
また迅速に正しい決定をすることができます。
関係性の複雑さや深さのレベル、微妙な違いを区別し理解することができます。
これは科学や医学、それからインスピレーションを概念化することや、
読解力が一般的に増大するレベルです。
ノーベル賞受賞者や偉大な政治家、最高裁判長といったレベルです。
しかし「理性」だけでは真実を見出すことはできません。
すべての哲学的な論争は単独では説得力があるように聞こえます。
「理性」は論理的な方法論によって支配されている
技術的な世界では効果がありますが、
逆説的に「理性」そのものが意識のより高いレベルに
達することへの最も大きなブロックになります。
このレベルを超越するのは私たちの社会では難しいことです。

自らに起こる事象と関係の全てをさらに「理解」した状態です。
あらゆる状態に動じない「理性」は深い「理解」を伴っています。
「400」の意識レベルは「200」以下の400000人とバランスを取ります。
「310」の「意欲」から始まり「350」の「受容」を経て
この「400」の「理性」に行き着きます。
理論物理学者のアインシュタイン、
自然哲学者のニュートンとデカルト、精神分析学者のフロイトはともに
「理性」の最高値「499」で測定されています。


500:愛
このレベルでは、無条件かつ普遍で永久的な愛の発展によって特徴づけられます。
それは動揺しません。その源泉が外部要因に依存していないからです。
愛はハートから発します。
その動機の純粋さゆえ他の人たちのエネルギーも引き上げるなど
「愛」はかなり大きなパワーを持っています。
このレベルに達すると、理性を使わずとも、
問題の全体性を瞬時に認識する能力が生まれます。
理性は細部だけを扱いますが「愛」は全体を扱います。
どんなバリアもそこにはもはや存在しないので
「他とひとつとなる」ことが可能です。

「愛」とは存在そのものです。
自らに起こる事象と関係の全ての存在に
「愛」という等しいものを視ることができる状態です。
自然体で自覚のない状態でも「啓示」が降りてきます。
「500」の意識レベルは「200」以下の750000人とバランスを取ります。
「400」の「理性」を超えて呼吸するように
分かち合う存在が「500」の「愛」です。


540:喜び
「愛」がますます無条件になるにつれて、
あなたの内側から喜びが湧き出ることを経験するでしょう。
540以上のレベルが、聖者や高度な精神の探求者、ヒーラーなどの領域です。
このエネルギーフィールドの特徴は長引く逆境に直面しながらも、
大きな忍耐力で積極的な態度を根強く持つことです。
高いレベルから見る世界は、創造の完全さと絶妙たる美しさで輝いて映ります。
すべてが共時性をもって自然に起きます。
そして世界とそのすべてが愛と神性の表現であることがわかります。
個々の意志は、神意に溶け込みます。
それを人々は「奇跡」と呼びますが何か自分よりも
もっと偉大な存在が身近に感じられてその存在のパワーによって、
通常の現実で受け止められる感覚以外のものが感じられる現象が起こります。
このレベルの特徴として臨死体験が挙げられます。
臨死体験をした人は、540~600のエネルギーレベルとなり、
意識が変容する経験をすることがあります。

600:平和
このエネルギーフィールドは「超越」「自己実現」「神意識」と
呼ばれる状態に関係しています。
非常にまれな経験で1000万人に1人しか到達しません。
この状態に達すると習慣と客観に区別はなくなり、
そして知覚はどんな特定のフォーカスもありません。
このレベルに達した人は至福の状態が連続して起こるため、
自らを世界から切り離し、通常の生活をやめてしまうこともしばしばです。
人類の改善のために匿名で活躍する人もいます。
彼らの各々の分やで偉大な天才となり社会への貢献をする人たちも生まれます。
600とそれ以上のレベルでは時間と空間が
スローモーションのように感じられると、しばしば報告されています。
じっと固定されているものは何もなくすべては生き生きと輝いています。
このすさまじい気づきは理屈では説明できないので心は思考することをやめ、
永遠の静寂さが訪れます。つまり観察者はその光景の中に溶けて、
観察されるものと等しくなります。
無限のパワーの存在によって、すべてがすべてに連結し、
優しさに満ち溢れているのですが石のようにもしっかりしています。

「パワーか、フォースか」の初版は2004年9月です。

この本に示される資料を徹底的に吸収すると、人の意識レベルを
平均35ポイント上げることができると示されました。

人間の誕生時における意識のレベルを測定するエネルギーフィールドは、
生涯を通して平均して約5ポイント増加するだけです。
これはもちろん統計上の数字なのですが、
生涯をかけても平均でたったの5ポイントしか進歩できないのは、
不幸な事実であり、人々が積み重ねる人生の諸々の選択は、
結局自分たちの意識のレベルを低下させていることが多いのです。

しかし突然何百ポイントも一気に跳ね上がる、
ポジティブなジャンプも可能なことなのです。

全体としての人類の意識レベルは何世紀もの間、危うくも190に留まり、
1980年代半ばには、それが突如207という、
希望がもてるレベルまでジャンプしました。

現在の日本はまだ平和で恵まれています。
少なくても一般市民が「飢え」で死んでしまうような状況や
突然、銃弾が飛んでくる危険はありません。
日本という国の意識レベルは高いそうですが
個人個人としてはどうでしょうか…
せっかく肉体を持って転生しハードな3次元で生きているのに、
肉体があるからこそ学び成長するチャンスがあるのに、
あっという間に人生は過ぎていきます。
やがて肉体を離れて旅立つときに5ポイントしか上がっていなかったら
この世にいたのにもったいないと思いませんか?

今までは単に「この世は修行」でした。
肉体を離れたとき、個々の意識レベル(魂)に応じて
霊界(4次元以上)に行きました。
しかし、今はアセンションを向かえる特別な時期です。
アセンションは肉体を持ったままのケース(生きたまま)と
肉体を離れて行くケース(死んで霊界から)があるようです。
意識レベルがどれほどならアセンションできるのかはわかりません。
しかし最低200以上の「パワー」の域に
いないと安心できない気がします。
(もっとハードルが高い意見もあるでしょう…)
なぜならアセンションは5次元に行くと言われているからです。
(4次元ではダメなのです)

アセンションの条件を2つあげるとすると、
1つは最低、意識レベルが200以上(パワー)であること、
もう1つは、霊性に目覚めていることです。
これはそんなに難しいことではありません。
新たな段階を迎える「勇気」と、
この地球は3次元から始まっている多次元世界であることを
認識していれば良いのです。
神仏や高次の宇宙存在に囲まれている多次元であることを知っていれば、
物質主義を考えるようになれるからです。
しかし今の生活を放棄することなく忍耐強く続けることも大切です。

「パワーか、フォースか」は約400頁に及ぶ本です。
この本を深く読めば35ポイントは上がるようですが、
大変ですので抜粋してみました。
意識レベルを改めて理解するよう
努めてみると新たな気づきも生まれると思います。
私自身350「受容」の意味で大きな気づきがありました。
「パワーか、フォースか」をお持ちでない皆さまの
意識の気づきになれば幸いです。