<ちょっとつぶやく 地震のとき>No.130

2011年3月11日、
この日私は、16:00~ネイルの予約をしていました。
早めに家を出たとしても、15:00までは家にいたはずなので、
地震発生時には自宅にいたと思います。
しかし、急に買い物をしたくなり、13:00前には家を出ました。

地震発生時、私は池袋西武百貨店の
5階に向かうエスカレーターに乗っていました。
「なんで、このエスカレーター、揺れるの、ぼろい…」
と思って、5階に降りたとたんに、強い揺れが来ました。
フロアに立っているのが困難で、
しゃがんだ姿勢で近くのソファにもたれ掛りました。
(通路にあるお客さまが自由に座れるソファです)

結構、長い揺れです。
同じく、ソファにしがみついて、
手を握り合って震えている親子?がいました。
西武のフロア担当者の方(おじさん)は、
「このビルの耐震構造は、大丈夫です!みなさま、落ち着いてください!」
と揺れるビルの中、何度も叫んでいます。
私の目の前の親子のお母さんの方は腰が抜けてしまったようです。
しばらくして揺れが治まっても立てないようでした。

私も一瞬、
「ついに、くるべき時がきたのか…」
と、何がくるべきものなのかも、定かでもないのに、
神妙になりました。

冷静に判断すると、
このビルはまず崩れないし、外に出る方が危険と思い、
目的地だった5階のサロンに向いました。
実はこのちょっと前に4階のお店で久しぶりに買い物をしました。
しかし、ビッグカメラにも行きたかったので、
荷物をサロンの方に預かって貰っていたのでした。

サロンに着くと、もう一度大きな揺れがきました。
サロンは広くて、倒れてきそうなものはなく、
ここにいた方が安全と、しばらくサロンにいました。
私の携帯はドコモです。
実家にかけましたが繋がりません。
弟にメールしたら、メールは行ったようです。
しばらくして返事がきました。
ドコモのiコンシェルを契約しているので情報が届きます。
震源地が東北なのを知りました。

同じく隣の席で、携帯を覗き込んでいる女性がいます。
ワンセグが観れるようです。
ワンセグを契約していない私が話しかけると、
「一緒に見ましょう」と言ってくれたので、携帯を覗き込むと
すでにこの時点で津波のすごい画像が写っています。
お名前はお聞きししなかったけど、
40代半ばの女性と一緒にその後、行動するようになりました。

西武百貨店内のお客さまと従業員は、4階の避難所に集められました。
4階に屋上があり、地上まで続く広い階段があります。
しかし屋外なのでとても寒い。
(お店の店員さんは春物のお洋服なので震えています)
一緒にワンセグを見ながらその女性と励まし合いました。
「人」は、一人より誰かと一緒の方が心強いですよね、
屋上に立ったまま1時間以上が過ぎました。

そこでちょっと話した別の女性が
(昼間のデパートですから、、ほとんど女性しかいません)
「電車はきっとずっと止まっていますよね~、
これは最悪、家まで歩きですね~」と判断していました。
地震発生後、まだ2時間も経っていない時点で、
とても冷静だなと関心しました。

私は今、○○区に住んでいます。
池袋からとても歩けないと話すと、
その30代くらいの女性は、
「私は、池袋から恵比寿まで歩いたことあるんですよ、
明治通りをずっーと、行けば、着きます~」とタフな発言。
むむ~、アラフィフの私には無理です…
さて、どうやったら帰れるのか、40代女性と相談しました。

西武百貨店は、避難してすぐは
「上下階の移動もできません」と放送していましたが、
それは解消されたようで、
まず、店員さんの誘導でトイレに行ってから、
40代女性と屋上から地上への長い階段を降りました。
でも電車が動くのを待つつもりなのか、まだたくさん
西武には座り込んで動かないでいる人もいました。

地上に出ると、目の前に停まっているバスが目に入りました。
なんと、ラッキーなことに実家の近くまで行くバスです。
私の実家は△△区です。
池袋から○○区までは帰れそうもないけど、
△△区まではなんとか行けそうです。
40代女性は、△○区だそうで、別のバスに乗るのでそこで別れました。

バスを並ぶ長蛇の列に加わりました。
歩道にはあまりの人で、どこに並んで良いのか判らないほどですが、
東京人は慣れているのか、何重にもなって割り込みもしないで並んでいます。
幸いなのは、池袋が始発だったことです。
空のバスがくると、すし詰め状態に乗りこみますので、
1台に60、70人は乗れるでしょう。
それでも、1時間、4台待ちました。
待っている間、私のすぐ前のおばあさんと話しをしました。

おばあさんは池袋西武8階の食堂街で、
「さあ、これから食べるよ、」という時に地震が来たそうです。
食器が飛び散って食べているどころではなかったので、、
「ご飯食べ損なったよ、」と話します。
ところが暫く並んでいたら、おばあさんがいきなり
コートを脱ぎだしました。
寒いのに、なんで、と思うと、
なんとおばあさんの左腕に縫った後があり出血しています。

実は手術直後だったそうです。
避難の際中、力を入れてしまったので傷口が開いてしまったようです。
「代えのガーゼがあるんだけど」と人ごみの中バッグをあさりだしたので、
おばあさんの荷物を持ってガーゼを探しました。
ガーゼを当ててテープを張り替え、ハンカチを縛って止血も手伝いました。
私の右手には、おばあさんの血がついてしまいました。
後ろの女性がティッシュを差し出して、
ガーゼを変えるのも手伝ってくれました。

コートを着たのでおばあさんの出血は見た目では判りません。
きっと痛かったと思いますが、
おばあさんはニコニコしています。
「地震が来たときね、
震えて泣いている人がいてね、手を握ってあげたんだよ」
と言います。
このおばあさんも、とてもタフです。

この日、私は冬物のコートから少し薄手の
ジャケットで出かけてしまいました。
バスを並んでいる間、寒くてガタガタしていると、
「あんた、こっちにきなさいな、こっちの方が風がこないよ、」
と左右を入れ替わってくれました。
おばあさんの出血している手の方に私が来たので、
その後、ずっとおばあさんの手に他の人がぶつからないように
私もかばってました。

いざ、バスに乗るときに、並ぶところが判らなかったと言って、
一人だけ女性が割り込んできました。
私たちは1時間以上並んでいたけど、入れてあげました。

バスは、すし詰め状態です。
私とおばあさんは立っていました。
座っている人は、年齢がいっている人ばかりではないけど、
席を譲ることもできないし、どんどん詰め込まれるので、
先に待っていた人が座ったと思います。

途中の停留所でも長蛇の列ですが、
(池袋ほどではないけど)
「このバスは満員です」という運転手さんの
無情のアナウンスで通過します。
ちょっとだけ降りる方があるとちょっとだけ
降車口から乗れるようにドアを開きます。
並んでいなかった人が一人だけ乗ってきました。
明らかに日本人(黄色人種)ではありません。
同じ停留所で並んでいた人も、
バスに乗っている私たちも誰も文句を言わないで、乗せてあげました。

おばあさんは、やっとご主人とメールが通じました。
大きな字の携帯で、メールのやり取りを一生懸命しています。
途中操作がわからなくなってしまったみたいで、私が操作しました。
お家は、東久留米だそうで、バスを乗り継いでなんとか近くまで行って、
ご主人に車で迎えにきてもらうそうです。
私は本当にラッキーで、バスの終点から歩いて実家に行けるのでした。
バスの中で母から電話がありました。
ドコモの電話は、かけれないけど、受け取れました。

後からこのバスを利用したことのある母から聞いたら、

通常20分くらいの距離を2時間立って乗っていたのでした。

小さな助け合いでしたが、
ほとんどの私たち日本人は真面目で冷静なのだと実感しました。
このブログを書いている今も、
余震で揺れ、ニュースはずっと続いています。
東北の方へは、言葉を失うばかりですが…

去年、夏から漠然とした不安があり、
ブログには人類の未来の暗いことを書いてきました。
まだまだ、何が起こるか解らないと思います。
でも私たちは、真面目で冷静でタフな心を持ってます。
日本人は逆境に強いと言います。
それを信じて、今からできることをしていきたいと思います。
まずは節電からですね、