<タロットの「1」と「0」から「23」のシリウス世界へ>No.214

「1」は1つで単数でしょうか・・・
私はタロットカードをお教えするときに「1.マジシャン」を複数のカードとお教えしています。
寓意画が解りやすいライダース版では、テーブルの上に、ワンド(棒)、スォード(剣)、コイン(金貨)、カップ(聖杯)の4つが置かれています。
これは西洋占星学に出てくる4要素(4エレメント、火風地水)です。
西洋占星学では火地風水、の順に12星座が巡りますが、私は火風地水の順にまず考えます。
(「風」は「空」と表される場合もあります。)
天体が形成されるとき、プラズマに満たされた宇宙から(火)、空の運動が巻き起こり(風)、次第に固まって固体化して(地)、その過程に水が生まれ(水)、生命が育むまれる環境になります。
火、風(空)、地、水、の順番です。

昔は、「火」は単に「エネルギー」としか表現していませんでしたが「火」はエネルギーが「プラズマ」の状態です。

「火」=プラズマ (陽の陽)++ 「か」
「風」=気体   (陽の陰)+-
「地」=個体   (陰の陽)-+
「水」=液体   (陰の陰)-- 「み」

「火」(か)と「水」(み)で神(かみ)さまです。高次元の存在を表しています。
「火」は垂直方向、「水」は水平方向、で重なると十字になります。
私たちは垂直方向に「時間」を認識することができ、水平方向に「空間」を認識することができます。
「陽の陽」である「火」と「陰の陰」である「水」が最初と最後になります。

タロットカードの「1」マジシャンには、4つのどの状態にもエネルギーを動かすことが含まれています。
ゆえに「1」が割り当てられていますが複数の意味を持っているのです。

さてHP本文にも載せましたようにタロットの物語(予言)は、
「1.マジシャン」から始まって「21.世界」に到達し1つの完結を得た後に「0.愚者」で新たなる循環がまた始まるのだと私は理解しています。

「1」に戻るのではなく「0」なのはなぜか・・・
「0」は単数のカードとしてお教えしています。

「0」は22枚目のカードです。「22」なのに「0」が割り振られています。
「22」という数字の意味を考えてみます。
「2」(火と風)+「2」(地と水)=「4」になるので先ほどの4要素を表しているとも言えます。
「2」(火と風)-「2」(地と水)=「0」です。
プラスサイン(陽)とマイナスサイン(陰)が相殺されて「0」になります。
これは4要素(火風地水)が畳み込まれて隠れた状態になっているとも言えます。

「0.愚者」は新しい世界(次元)への旅立ちです。
あらゆる要素が畳み込まれていますが、単数として扱っています。
すべてを保有し繋がっていますが個として機能する必要があるからです。
大アルカナのタロットカードは最後の「0」を含めて22枚です。

子供のころから見上げていた夜空には、東京でもひと際輝くシリウス!
「23」はシリウスの数とされています。
シリウスとは、単に大犬座の1つの恒星を意味するのではなく新しい時代としての象徴の意味があります。
また進化の方向(次元、ゲート)の象徴である場合もあります。
「空間」と「時間」が根源にあるならば、西洋占星学の10天体(空間)と12星座(時間)、東洋系占いの十干(空間)と十二支(時間)、それぞれ足して22になります。
タロットの大アルカナは「1」から順番に進化を表していますが22枚で完結します。

「時間」と「空間」はセットです。
どちらが先かと考えると「空間」があるから「時間」が発生しています。

4要素の「火」陽の陽、「風」陽の陰、「地」陰の陽、「水」陰の陰を
「陽」と「陰」にまとめると、「火と風」が「陽」、「地と水」が「陰」になります。
「陽」は垂直方向で時間を、「陰」は水平方向で空間を、造っています。
日本語では「陽陰」とは言わないで「陰陽」と先に「陰」を発音します。
まず、陰の方向の「空間」が造られました。そしてわずかの違いで陽の方向の「時間」が発生しました。
(日本語は神(かみ、火水)といい素晴らしい)

タロット「0」には「空間」と「時間」が一旦、畳み込まれました。
次の「23」になったときにまた動き出すのです。
そこは今いる3次元での「時間」と「空間」の在り方を超えたシリウス世界「23」です。

私たちは「進化」の過程に常にいながら「進化」を忘れて(時に恐れて)安住な「退化」へ知らず知らずに向かってしまうことがあります。
「回帰」することは「進化」ではありません。
太古からさまざまな問題をかかえた人類は何度も「回帰」が必要でした。
しかし「回帰」が目的であっては進化の過程を外れることになってしまいます。
(退化の選択をする魂もいることでしょうが・・・)

タロットカード「0.愚者」のカードには深い意味がたくさん隠されています。
その名の通りに、身一つで旅をする愚かしい姿の者が描かれていますが、これは原始に帰る意味ではないのです。
近代になってエコという言葉も乱雑されているように感じます。
問題をかかえた状態が陰陽調和すること、それすらも目的ではなく進化の「過程」なのでしょう。
目指すところはもっと遠く、受け入れることと受け入れないこと、手放すものと手放さないものを、「進化」の過程としてもっと考えていきたいと思っています。