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「人」とは・・・ 2016.10.5更新

西洋的な思想と東洋的な思想における「人」とは、どのような存在なのであろうか?

西洋的な思想では「人」とは、「善」にも「悪」にも傾く存在で、「善」の世界も「悪」の世界も知り理解できる存在である。

東洋的な思想では、陰陽二元性の世界が基本になっている。

物語を例に出すと、映画マトリックスでは、アノマリィの「ネオ」と「スミス」、均衡を保つ「アーキテクト」と均衡を崩す「オラクル」、小説(映画)ハリー・ポッターでは、真っ当な「ハリー」と闇の帝王「ヴォルデモード」で二元性の世界を創っている。

映画「コンスタンティン」では、「天界」と「魔界」であり、どちらの世界にも属していないが、どちらにも傾く「人間界」は、元天界の天使であった堕天使ルシファーがサタンの正体であり、この映画においては、大天使ガブリエルも危うい状況に陥っている、これらも二元性の世界の象徴である。

「力」においては「パワー」と「フォース」…。

人の持つ無限に自由な無償の愛が力の源である「パワー」に対して、恐怖を帯びる支配的な力が源である「フォース」。

これらはすべて、正反対でありながら対になっており、対価の関係にある。

また、わかりやすく言えば「光」あるところに「影」があり、光がなければ闇もできない。どちらの世界を選ぶかは人の選択権として存在していて、あらかじめDNAにインプットされているようである。このような考え方は西洋的な色が強いが、解りやすいと思われる。

東洋的な思想では、善悪の二元性というより陰陽という言い方をする。

陰陽二元性の世界が基本になっている。

他に第三の世界である「太一(たいつ)」の世界がプラスされる。

「太一」は、陰陽調和された状態でありながら、陰陽のどちらでもない状態である。言葉としては、「中庸」とか、時間的な意味も含めると「中今」が近いと思われる。

陰にも陽にも傾かない、極端な偏りのない状態なのに、陰陽と共に存在しているのが「太一」である。

物語を例に出すと、西洋のものでありながら、トールキン氏の壮大なファンタジー小説「ロード・オブ・ザ・リングス」の「トム・ボンバディル」が「太一」である。映画では描かれていなかった東洋的な難しい存在である。

そして「太一」からまた新たな陰陽が生まれて永遠に続いていくのである。

「人」の中にある一霊四魂(内在神)にも陰陽の神仏(存在)があるが、そこから太一の存在(神仏)がまた生れていくのである。

「人」とは、神仏と共に生きて成長していく存在である。

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